目に見えないものを信じる心

「そういえば、秀平たちの学校ってジンクスがあるんだろう」
「――知らない」
 向かい合う弟は、淡々とチキンライスをスプーンで口へと運んでいる。
「女の子は好きな男の子に、手作りのはちまきを作って渡すんだって。貰ったほうは、それをつけて球技大会に出て、終わった後にそのはちまきを相手に返すと、付き合おうって意味になるんだって」
「…………」
「梨緒子ちゃんもさ、毎年ジンクスのはちまき作ってるって言ってたよ。やっぱり女子高生って、夢があって可愛いよね」
 秀平のスプーンの動きが、ピタリと止まった。
 スープの入ったカップを手に取り、涼しい顔を崩さず一口飲み、首をわずかに傾げてみせる。
「……へえ、毎年」
「どうしたの秀平?」
「なにが」
「珍しく興味を持ったみたいだから」
 優作は弟を冷やかした。

 弟の秀平が、はちまきを受け取っていることを、優作はすでに彼女から聞いてしまっている。
 知らないふりをしているのは、決して楽ではないのだが――優作は弟の表情の変化を、一人密やかに楽しむ。

 そんな兄の思惑に気づくことなく、秀平はさも興味なさげに、吐き捨てるように言った。
「別に興味なんかないけど。毎年ジンクスに願掛けしてるってことは、結局ジンクスなんか当たってないってことなんじゃないの?」
「誰か一人にずっと渡そうとしてて、これまで出来なかったってことも考えられるでしょ。今年は、三度目の正直だったんだろうなあ。叶うといいね」
 二人きりの食卓は、再び沈黙に包まれる。
 秀平は無反応だ。
 ときおりスプーンでチキンライスをかき混ぜ、その一粒一粒を憂いに満ちた眼差しで、じっと眺めている。
 いろいろなことを考えているに違いない。優作にはそれがよく分かる。
 ダテに長い間、兄弟をやっていないのだ。

 やがて秀平は、皿の上にスプーンを置いた。
 そして沈黙を破り、淡々と喋り始める。
「……なんにも知らないのに好きだとか付き合うとか、どうしてそんなこと言えるのかまったく分からない。だいたいそんなジンクス信じてる時点でどうかと思う」
 秀平は首を傾げて、ゆっくりと何度も目を瞬かせている。
 そしてそのままツイと、まるで気まぐれな子猫のように顔をそむけてしまった。

 優作は、あまりに分かりやすい弟の挙動に、思わず吹きだすようにして笑った。
「そんな考えじゃ、お前は死ぬまで誰とも付き合えないなあ」
「……」
「お前が歩み寄らなかったら、相手だってお前のことを理解したくても、理解できないんだからね」
 秀平の中に起きたわずかな変化を、優作は見逃さなかった。

 普通の人間では分からない。
 肉親だからこそ、分かり合える『空気』だ。

「歩み寄るとか別に、そんなの俺には関係の無い話だし」
「じゃあ、どうして受け取ったの? ジンクスも知らなくて、誰にも興味ないから、いままで誰からもはちまきなんか受け取ったことがないのに?」

 完全に、落ちた。
 こういう顔もするんだな――優作は心の中でそう呟いた。

「……何がだよ」
 あくまで平静を装って無関係を貫く弟の頑なな態度が、優作の目にはひどく滑稽に映った。
「僕の勘違いだったなら謝るけど。もう高校生なんだから、小学生みたいに照れ隠しにわざと冷たくそっけない態度であしらうのだけは、止めておけよ? 恥ずかしいからね」
 秀平は兄の助言を面倒くさそうにしながら、大きく大きくため息をついた。


(了)