彼女を思う心

 夕方になると、カフェの客足はしばし途絶える。
 ひと気のない夕陽の差し込むカフェの店内に、制服姿の男子高校生がやってきた。
「いらっしゃい、シュウちゃん」
「こんにちは」
 店主のひかるは、すらりとした長身の少年に、親しげに声を掛けた。
「今日は一人?」
「?」
 シュウちゃん、と呼ばれた少年は、不思議そうにして首を傾げている。
「彼女は?」
「いまは受験前なので」
 ひかるの質問の意図をようやく読み取り、少年は納得したように答えた。

 この少年は、ひかるのイトコである。
 同じ市内に住んでいるため、こうして気まぐれに店に顔を出していったりする。
 以前、この少年・永瀬秀平がここへやってきたときは、同級生らしい『彼女』を同伴していた。
 そして二人で楽しそうにケーキを食べながら、仲良く談笑していたのを、ひかるはしっかりと覚えている。

 このイトコの少年は、頭脳明晰な上に容姿端麗で、どこへ行ってもモテているに違いないのだが――しかし、これまで浮いた噂一つ、ひかるは聞いたことがなかった。
 だからとても、驚いたのである。

「何にする?」
「紅茶で」
 少年はカウンター席の真ん中に座った。
 肘杖をつき、物憂げな表情で、ひかるの作業をカウンター越しに見守っている。
「さっきね、ユウくんが来てたんだよ」
 そう、と、秀平はさほど興味がなさそうに返事をした。
「兄貴の大学からここ、近いから」
 ユウくんと呼ばれた秀平の兄は、医大生である。もちろん兄の優作も、ひかるのイトコだ。
 秀平の指摘するとおり、優作の通う医科大学は歩いて数分のところにあるため、講義や実験の合間など、しょっちゅう店に顔を出している。
「もうすぐセンター試験でしょ? まあ、シュウちゃんは頭いいから余裕だよね。ユウくんもシュウちゃんも優秀だから、うちのパパいっつもうらやましがってるもん」
 ひかるは紅茶のカップをソーサーに載せ、カウンター越しに秀平の前へと差し出した。
 カチャリと、危うい音を発てる。
「ミルク? レモン? メープルシロップもあるけど」
 秀平はきれいな二重をゆっくりと瞬かせた。
「メープルシロップ」
「だと思った。シュウちゃんは昔っから、甘いの好きよね」
 ひかるがメープルシロップの入った小さな器を渡すと、秀平はそれを受け取り、無言でカップの中に注ぎ込んだ。
 秀平はスプーンでそれをかき混ぜ、香気漂うカップにそっと口をつける。

 秀平が完全に黙ってしまったので、ひかるもカウンター内のシンクで、皿洗いを始めた。
 しばらく、静かな時間が流れていく。
「ひかるさん、お願いがあるんですけど」
 紅茶を半分ほど飲み進めたところで、ようやく秀平が口を開いた。
 ひかるが顔を上げると、そこには秀平の真剣な眼差しがあった。
「どうしたのシュウちゃん。そんな思いつめた顔しちゃって」
「欲しいものがあるので、買い物に付き合って欲しいんです」
「ああ、彼女へのプレゼント?」
 ひかるが勘繰るように尋ねると、秀平は首を横に振ってみせた。
「……プレゼントというわけじゃないです。ハンカチを借りたので、新しいのを返そうと思って」
 その説明が今一つ、腑に落ちない。
 ただ、その相手が『彼女』であることは否定していない。
 ひかるはさらに尋ねた。
「同じようなのを買って返したいってこと?」
「いや……せっかくだから、もっとちゃんとした、彼女が気に入ってくれそうなのがいいんですけど」
「ふふ、つまりそれ、プレゼントでしょ?」
 淡々と冷静に説明しているつもりなのだろうが、その言葉の合間に潜むものを、ひかるは読み取った。
 そして、幼い頃より知っているこのイトコの少年の、成長ぶりを微笑ましく感じながら、黙って話に耳を傾ける。
「……俺、他人に何かモノを贈ったりしたことないから――よく分からないんです」
「いいよ。あさっての定休日でよければ。可愛いイトコの頼みだもんね」
 ひかるがそう答えると。
 秀平は用が済んだとばかりに、そそくさと席を立った。
 やはり、受験生にのんびりしている時間はないようだ。

 店を出ようとする秀平が、カウンターの中にいるひかるを振り返った。
「あの」
「どうしたの?」
「兄貴には、内緒にしててください」
 子供なのか大人なのか分からない――ひかるは秀平に笑顔を向け、手を振って『了解』と答えた。



(了)