素直になれない心

 美月はじっと、タイミングをうかがっていた。
 もうすぐ最後の授業が終わる。美月の受けている英語のクラスの隣では、物理の授業が行われている。
 目的の人物は、大学入試の二次試験で、物理を選択しているため、いまは隣のクラスにいるはずだ。
 問題はこのあとだ。
 美月は、彼の行動に目を光らせなくてはならない。

 しかし。
 この日に限って、英語の授業が一分ほど、長びいてしまった。
 授業の終わった生徒たちのざわめきが、廊下から聞こえてくる。
 ようやく授業が終わり、慌てて廊下に出たのだが――既に隣のクラスの中は閑散としていた。
 知らない顔が数名残っているだけである。

 ――どうしよう……梨緒ちゃん、こっちに向かってるっていうのに。

 そこへ、目的の人物が、小さな紙袋に綺麗な包装の小箱をあふれさせた状態で、それらを落とさないよう胸に抱えたまま、ゆっくりと歩いてくるのが見えた。
 美月はとりあえず安堵した。
「待ってよ、永瀬くん」
 声を掛けると、永瀬秀平は目の前で立ち止まった。
 返事をするでもなく、ただじっと美月を見下ろしている。
「梨緒ちゃん、これからこっちに来るから、待ってて欲しいの」
「……」
 秀平は返事もせず、再び歩き出し、そのまま美月の前を通り過ぎていく。
「待ってって言ってるでしょ!?」
 美月が強く引きとめると、秀平は背を向けたまま立ち止まった。
 そして、明らかに面倒だというため息を、これ見よがしについてみせている。

 この男を相手にするのは、本当に難しい。
 親友の彼氏とはいえ、いったいこの男のどこに良さを見出しているのか、美月は理解に苦しむ。
 しかし。
 ここで引き下がるわけには、いかないのである。

「ねえ。梨緒ちゃんのことは、もうどうでもいいの?」
 美月の問いかけに、秀平はようやく振り返り、声を発した。
「どうでもいいとか、よくないとか、そういう問題じゃないと思うけど」
「じゃあ、それ何? いっぱいチョコ、もらっちゃってるみたいだけど」
「これは……別に、欲しくて受け取ったわけじゃないし」
「もう! 梨緒ちゃんのチョコが欲しいの? 欲しくないの? どっち??」
「……」
「いまどこにいるか聞くから、ちゃんとここで待ってて」
 美月はスカートのポケットの中に入れてあった携帯を取り出すと、素早く親友に向けてメッセージを打つ。

 件名:【お疲れサマ】

 本文:【梨緒ちゃん今どこ?】

 多少は興味があるのか――秀平は、携帯を操作する美月の横で、おとなしく待っている。
 美月がメールを送ると、すぐに返信のランプが灯った。
 もちろん相手は、親友の梨緒子である。

 件名:【今は】

 本文:【図書館。一緒に帰れるかな? 話聞いてくれたら嬉しいかも】

 美月は携帯の画面を、秀平に見えるように向けてやった。
「ほら、図書館にいるって」
「……波多野に用事があるんじゃないのか? 一緒に帰れるか聞いてるし」
 秀平は、どこまでも素直になろうとせずに、頑なな態度を貫く。
 彼自身、薄々は気づいているはずなのに――。
「入試だったのに、わざわざ学校に戻って来たんだよ? いくら永瀬くんだって、今日がどんな日なのかくらい、知ってるでしょ?」
「……」
 秀平は黙った。
 今日は、二月十四日。
 受験生である自分たちにとって、これが高校生活最後のバレンタインだ。
「ケンカして気まずいのは分かるけど、梨緒ちゃんのほうばかりじゃなく、ちょっとは永瀬くんも歩み寄りなさい!」
 美月が親友の彼氏を一喝した。
 すると。
 秀平はくるりと向きを変え、再び美月に背を向けた。そのままたくさんのチョコレートの包みを抱え、歩き去ろうとする。
「そっち図書館じゃないけど」
「俺、職員室に用事があるから」
「ちょっと、永瀬く――」
「これ持ったままじゃ、行けないだろ」
 美月の言葉を遮るようにして、秀平は淡々と背中越しに答えた。
 どこまでも一筋縄ではいかない、頑固で扱いにくい男だ――美月は呆れたようにため息をつき、そしてこれから訪れるであろう親友とのやり取りを想像し、ふと微笑んだ。


(了)