もしも、雨が降れば。

 秋の長雨。
 梅雨の季節じっとりとした空気とは違い、どことなく肌寒い。
 背の高い書架の奥の、図書館の窓辺に沿うようにして設けられた閲覧スペースに、梨緒子と秀平は並んで座っていた。
 待ち合わせたわけではない。
 秀平は毎朝日課のようにして、図書室の開く七時半から始業の八時半までの一時間、こうやって書架の奥の目立たぬところでひたすら勉強に励んでいる。
 梨緒子の方がたまたま早く学校へ着いた、それだけの話である。

「明日は晴れるといいね」
「どうして?」
「だって、毎日毎日雨が続いてるから鬱陶しくない?」
 梨緒子は窓に滴る雨のすじをじっと眺めながら、淡々と涼しい顔をして英語の長文問題を解いている秀平に問い掛けるようにして言った。
 邪魔にならないように、あくまで独り言の延長を装って、である。
「俺、雨は好きだよ」
 秀平が答えた。
「『風が吹けば桶屋が儲かる』っていうだろ。それと同じだよ」
「……どういうこと?」
 梨緒子は首をかしげた。
 上手くことわざに例えたつもりなのだろうが、その正しい意味を自分がちゃんと理解できているか――梨緒子はかなり怪しかった。
 梨緒子は秀平の横顔をじっと見つめた。
 その視線が気になったのか、秀平はノートの上にシャープペンを置き、梨緒子の方へ身体半分、向き直った。

 短い沈黙があった。
 さらさらとした雨が窓を打つ音が、秀平の続く言葉をせかしているようだ。

「雨が降ったら――」
「雨が、降ったら?」
「――ちょっとだけ嬉しくなる、かな」
 秀平が、何とも微妙な顔をした。
 そして、梨緒子もつられて何だか微妙な気持ちになる。
「それって、秀平くんの好みの問題で、ことわざの意味関係なくない?」

 再び、短い沈黙があった。
 言葉を慎重に選んでいるらしい。
 秀平はゆっくりと何度も切れ長の綺麗な瞳を瞬かせ、やがて軽くため息をついた。
「朝起きて雨が降ってるとさ、きっと江波は雨の日に学校に行きたくないって、駄々こねるだろ」
「うん。雨は嫌いだもん」
 梨緒子は素直に、秀平の説明に耳を傾ける。
「だから、お兄さんを掴まえて、学校に送っていってもらおうとするだろ」
「車の運転、超キケンだけどね……雨に濡れるよりマシだからね」
「そうか」
 口数の少ない秀平が、いつも以上によく喋る。
 梨緒子の真剣な眼差しを確認するようにして、秀平はさらに続けた。
「そうすると、江波はいつもより早く学校に着いて、行く場所がないからここへ来るだろ? そういうことだよ。『風が吹けば桶屋が儲かる』と、充分似てる」
「そうかな……えーと、なんだったっけ? 秀平くんが言ってたやつ。雨が降れば――」
 言いかけた梨緒子の言葉を、秀平がすばやく遮った。
「いいから、江波も早く勉強すれば? まずは、ことわざの勉強から」
 そう言って秀平は、再び勉強モードに入った。それ以上何を言うわけでもない。ひたすら黙々とシャープペンを動かしていく。
「…………はーい」


(了)