弟を泣かせた日
「へえ、梨緒子ちゃん珍しいもの持ってるね」
優作は問題を解かせている合間に、梨緒子の部屋を見回し、ある場所で目を止めた。
マンガ本が詰まった小さなカラーボックスの上に、カラフルな立方体が載っている。
梨緒子は小問題を解き終えて、顔を上げた。そして優作の視線の先を辿り、ああ、それはね――と説明をする。
「薫ちゃんのだよ。形が面白いからインテリアにって。でももう色がぐちゃぐちゃ」
ルービックキューブ。
そういう名を持つ、色合わせの立体パズルである。六面すべてが揃って完成なのだが、梨緒子もそして持ち主の薫も揃えられずに、放っておかれている。
「貸してみて。うちにもあったなあ、そういえば。どこやったろ、アレ」
「ふーん」
優作はその不揃いのルービックキューブを手に取った。そして、各面をじっと観察するように見て、色の配置を確認している。
「梨緒子ちゃん、そこの方程式、解いてて」
一分後――。
梨緒子がようやく解き終えて顔を上げると、優作の手の中に、六面きれいに揃えられた立方体のパズルブロックが鎮座していた。
「す……すごいー」
かしゃかしゃと耳につく音はずっと聞こえていた。おそらく、途中で考え込むこともなく、いじり続けていたに違いない。
そうでなければ、こんな短時間でとても――。
そんな梨緒子からの尊敬の眼差しを、優作は大した事ではないといったようにさらりとかわす。
「僕と秀平が初めてけんかしたのも、これが原因だったな……懐かしい」
優作は、弟・秀平とのやりとりに思いを馳せるように、しみじみと呟いた。
「秀平のこと、泣かせたんだよね」
「ええ? ゆ、優作先生が?」
「いくらやっても僕に勝てないもんだから拗ねちゃって。そしたらあいつ、声も出さずに涙ボロボロこぼしてた」
兄弟だからこそ見ることができる、秀平の貴重な姿だ。
羨ましいな、と梨緒子は思った。
「へえ、見てみたかったー。小さい頃の秀平くん、きっとカワイイだろうな」
「そんなに小さくはなかったけどね、僕が中三のときだから」
淡々と答える優作に、梨緒子は思わず驚嘆の声を上げてしまう。
「……優作先生が中三? てことは、秀平くんは小六!?」
「そう、小六」
どうにも腑に落ちない――梨緒子は六面揃ったルービックキューブを手にし、それをじっと眺めた。
この小さなカタマリが。
「それで、これが原因で初めてケンカしたの?」
「そう。僕の記憶では、それが初めて」
「……それで泣いちゃったの? 小六にもなって?」
梨緒子は驚きを隠せない。不必要に何度も目を瞬かせる。
兄にどうしても勝てなくて、拗ねて泣く――学校では『孤高の王子様』と、もてはやされている人物からは、とても連想できない話だ。
「僕が言ってたってことは、内緒にしておいてね」
優作は人差し指を自分の唇に軽く当てて、穏やかに微笑んだ。
兄弟揃って頭がいいと、その日常はきっと常人とかけはなれているのだろう。
そんな頭脳明晰兄弟の楽しい秘密を、梨緒子は胸の中の宝石箱にそっとしまい込んだ。
優作は問題を解かせている合間に、梨緒子の部屋を見回し、ある場所で目を止めた。
マンガ本が詰まった小さなカラーボックスの上に、カラフルな立方体が載っている。
梨緒子は小問題を解き終えて、顔を上げた。そして優作の視線の先を辿り、ああ、それはね――と説明をする。
「薫ちゃんのだよ。形が面白いからインテリアにって。でももう色がぐちゃぐちゃ」
ルービックキューブ。
そういう名を持つ、色合わせの立体パズルである。六面すべてが揃って完成なのだが、梨緒子もそして持ち主の薫も揃えられずに、放っておかれている。
「貸してみて。うちにもあったなあ、そういえば。どこやったろ、アレ」
「ふーん」
優作はその不揃いのルービックキューブを手に取った。そして、各面をじっと観察するように見て、色の配置を確認している。
「梨緒子ちゃん、そこの方程式、解いてて」
一分後――。
梨緒子がようやく解き終えて顔を上げると、優作の手の中に、六面きれいに揃えられた立方体のパズルブロックが鎮座していた。
「す……すごいー」
かしゃかしゃと耳につく音はずっと聞こえていた。おそらく、途中で考え込むこともなく、いじり続けていたに違いない。
そうでなければ、こんな短時間でとても――。
そんな梨緒子からの尊敬の眼差しを、優作は大した事ではないといったようにさらりとかわす。
「僕と秀平が初めてけんかしたのも、これが原因だったな……懐かしい」
優作は、弟・秀平とのやりとりに思いを馳せるように、しみじみと呟いた。
「秀平のこと、泣かせたんだよね」
「ええ? ゆ、優作先生が?」
「いくらやっても僕に勝てないもんだから拗ねちゃって。そしたらあいつ、声も出さずに涙ボロボロこぼしてた」
兄弟だからこそ見ることができる、秀平の貴重な姿だ。
羨ましいな、と梨緒子は思った。
「へえ、見てみたかったー。小さい頃の秀平くん、きっとカワイイだろうな」
「そんなに小さくはなかったけどね、僕が中三のときだから」
淡々と答える優作に、梨緒子は思わず驚嘆の声を上げてしまう。
「……優作先生が中三? てことは、秀平くんは小六!?」
「そう、小六」
どうにも腑に落ちない――梨緒子は六面揃ったルービックキューブを手にし、それをじっと眺めた。
この小さなカタマリが。
「それで、これが原因で初めてケンカしたの?」
「そう。僕の記憶では、それが初めて」
「……それで泣いちゃったの? 小六にもなって?」
梨緒子は驚きを隠せない。不必要に何度も目を瞬かせる。
兄にどうしても勝てなくて、拗ねて泣く――学校では『孤高の王子様』と、もてはやされている人物からは、とても連想できない話だ。
「僕が言ってたってことは、内緒にしておいてね」
優作は人差し指を自分の唇に軽く当てて、穏やかに微笑んだ。
兄弟揃って頭がいいと、その日常はきっと常人とかけはなれているのだろう。
そんな頭脳明晰兄弟の楽しい秘密を、梨緒子は胸の中の宝石箱にそっとしまい込んだ。
(了)