Everything

「秀平くん、昨日からメールが届かないんだけど」
 冬休み前最後の授業のあと、梨緒子は教室を出て行こうとする永瀬秀平を呼び止めた。
 手にはカバンと数冊の問題集。これから図書館にこもって、いつものようにひたすら勉強に専念するらしい。
「アドレス変えたんだ」
 予想通りの答えが返ってくる。それはそうだろう。
 そうでなければ、毎晩のようにメールをしていたアドレスが、突然つながらなくなるわけがない。
「……そうなんだ。じゃあ、アドレス変更のメールを送って?」
「暇みて、そのうちね」
 秀平はそれだけ言うと、そのまま背を向け立ち去ろうとする。
 意味が分からない。
「そのうちって、どういうこと?」
「そんな顔するなよ。用事があったら学校で話せばいいだろ。どうせ国立組は、来週から毎日講習なんだし」
 大したことではないといったように、さらりとかわされてしまった。


 秀平の「そのうち」は、やはりやってこなかった。
 二日間、今か今かと変更通知のメールを待っているのに、来るのはいつもの仲良しグループ、類と美月だけだ。
 クリスマスイブなのに、大好きな彼にメッセージを送ることができない――なんて。
 このままじゃ。
 年末年始のおめでとうメールだって、できない。
 大切な受験を控えて、そんなことで一喜一憂している時期でないことは、建前として理解する。
 しかし、逆に。
 こういう時期だからこそ。せめてヒトコトのメールだけでもと思うのは、わがままなことなのだろうか?


 夜。
 勉強する気も起きずに、梨緒子は部屋の電気をつけたままベッドに横たわり、クッションを抱え、天井の模様を眺めていた。
 壁掛け時計の針は、午後十一時を指している。
 もうすぐ日付が変わる。クリスマスイヴも終わりだ。
 クリスマスに目もくれず、受験勉強に打ち込む彼。

 そのとき。
 メール着信を知らせるランプが点った。
 梨緒子はベッドから飛び起き、机の上に置いてあった携帯を開く。
 見ると、知らないアドレスからのメールだ。
 登録してあると出てくる名前が出てこない。長いアルファベットの羅列である。
 ひょっとして?
 件名を急いで確認すると、【今宵限り】。

 ――よくある迷惑メール、か。

 梨緒子は深くため息をついた。
 しかし。本文の一行目がプレビュー画面に表示される。
【と、いうわけだから。秀平】
 梨緒子は最後の二文字に仰天した。待ちに待っていた、憧れの彼からだ。
 しかし。
 と、いうわけ……どこから話が続いてるのだろう。あまりに謎だ。
 しかもタイトルが【今宵限り】だなんて。

 ――ひょっとして、完全に相手にされなくなったのかな。

 クリスマス・イブという特別な日に、秀平は梨緒子をどん底に叩き落す。
 だからアドレス教えてくれなかったんだ――と梨緒子は激しく落胆した。
 ふと、気付く。
 変えたアドレスでこのメール送ってきてるのだから、メールをして欲しくないからアドレスを変えたというわけではなさそうだ。
 だったら、件名の【今宵限り】とは?

 梨緒子は慌てて差出人のアドレスを確認した。

 holy-night.you-are-everything.@xxxx.xx……

「……どういう意味?」
 梨緒子はいてもたってもいられずに、すぐさま親友の美月に電話をした。
「美月ちゃん、英語得意だったよね? 「holy-night.」は聖なる夜、でしょ。えーと「you-are-everything.」ってどういう意味かな?」
『あなたはかけがえのない人。とか? なんかのラヴソングの歌詞にもあったよね、確か』
 美月の説明に、梨緒子は衝撃を受けた。
 いったい、何なんだろう。本当に本当に、永瀬秀平という男は。
 【今宵限りの、アドレス】だなんて。

 ――本文に打てば済むことじゃない? 秀平くんってば、わざわざこんな遠回しに……でも。

 秀平らしい、梨緒子はそう思った。
『梨緒ちゃん、それがどうかしたの?』
 電話の向こうから美月が不思議そうに尋ねてくる。梨緒子は動揺を隠そうと、一生懸命取り繕った。
「……う、ううん。ちょっと勉強してたら解らなくて気になって。今日、優作先生は大学のゼミの飲み会だって言ってたから」
『あー、いかにも寂しいもん同士の集まりって感じ? ははは』

 美月との電話を終えると、梨緒子はすぐさま返信をした。
 件名には【今宵限りとは言わず】と入力。
 そして本文には、ヒトコトだけ。

【変わらずにいてくれたら嬉しいです】

 あえて「何が」と打たなかった。
 それはアドレスのことでもあり、秀平がその単語に込めた意味に対してでもあった。


 しばらく音沙汰がなかった。
 十二時ちょうどに、メールの着信ランプがともる。
 きっと、彼だ。

 件名【じゃあ、今日からは】
 you-are-everything.@xxxx.xx……

【これで、登録しなおして。ずっと変わらないから】

「あ、ちょっとだけ短くなった……」
 可笑しい。可笑しすぎる。
 勉強の手を止め、自分のために携帯片手にアドレス変更の作業を繰り返す、そんな秀平の姿を想像して、思わず自然に笑みがこぼれた。
 梨緒子は嬉しさのあまり、携帯を抱き締めたままベッドの上を転げまわった。

 梨緒子はメールのやりとりを何度も読み返す。
 本文だけだと、ただの事務的なやり取りにしか見えない。
 しかし。
 文字を超えて。電波を超えて。

 二人の心はいっそう強く繋がれた。


(了)