冠婚葬祭な人々 新郎兄編
そこは、別世界だった。
足を踏み入れるのを躊躇してしまうほど、清らかで厳かな空気が漂っている。
新郎の兄である優作が、挙式前の新婦控室を一人で訪れるのは、傍目からは奇異な光景に映るだろうが――。
「すごく綺麗だよ、花嫁さん」
「そう言ってくれるの、優作先生だけだよ」
スツールから立ち上がり、純白のドレスに身を包んだ新婦は、裾をたくし上げながらゆっくりと近づいてくる。かなり歩きにくいらしい。
「僕だけ? 秀平は?」
「綺麗とか可愛いとか好きだとか愛してるとか、そんなこと言うわけないし」
「口に出さないだけで、ちゃんと心では思ってるよ、きっと」
「うん。分かってる」
強くなった。
彼女と出会ったのは、優作が大学三年生のときだった。
当時高校三年生だった彼女の、家庭教師をすることになったことがきっかけである。
自分の弟と同級生だった彼女は、どうしても弟と同じ大学に行きたいのだと、そう優作に説明していた。
優作はいろいろな思いを込めて、彼女に笑顔を送った。
「梨緒子ちゃんはもう、僕の生徒から卒業だね」
「どうして? 優作先生はずっと先生でしょ?」
「僕がいなくても、もう大丈夫。これからは、あいつと二人で頑張って」
花嫁は黙った。
言葉の意味魅するものを、どうやら図りかねているらしい。
優作は続けた。
「僕は家庭教師として失格だった。北大へ合格させてあげられなかったんだから」
自分の役目は何だったのか――優作は今でも考えることがある。
恋愛に不器用な二人を、ずっと陰から支え続けてきた。
そして、大きな障害を何度も乗り越えて、ようやくここまで辿り着いたのである。
弟とその彼女は、長い遠距離恋愛を経て結ばれ、今日、晴れて夫婦となる。
「梨緒子ちゃん、本当におめでとう。よく頑張ったね」
そのひと言に、すべては集約されるだろう。
頑張ったのは他でもない、本日主役の二人である。
「優作先生――」
「なに?」
花嫁は一歩前に進み出た。触れてしまう寸前まで、接近してくる。
見上げる眼差しは、潤んだ輝きを放っている。
「大好き」
滑らかな光沢のウエディングドレスが、花の香りとともにまとわりついた。
「こらこら。花嫁が他の男に抱きついてどうするの」
口ではそう言いつつも、優作は花嫁の腕を振り解こうとはしなかった。
「優作先生でよかった。……兄弟だからとか、そんなんじゃなくて」
肩に頬を寄せながら喋る彼女の声が、細かな震えとなって優作の身体に伝わってくる。
「優作先生がついていてくれたから、いつだって頑張れた」
優作は思いを馳せるようにして、ゆっくりと目を閉じた。
長い時間、彼女と過ごしてきた楽しい思い出が、次から次へとあふれてくる。
泣き顔も、笑顔も、落ち込んだ顔も――優作はすべてを知っている。
「大変なのはこれからだよ。僕の弟は、頑固で独占欲が強くて嫉妬深くて一筋縄じゃいかない、どうしようもないバカなんだから」
「あははは、その通り!」
優作の身体から、ようやく花嫁が離れていく。
どこまでも幸せそうな、それでいて自信に満ちた、華やかな笑顔だ。
これで良かったのだ――優作は優しく微笑みを返し、そのまま新婦の控室を後にした。
足を踏み入れるのを躊躇してしまうほど、清らかで厳かな空気が漂っている。
新郎の兄である優作が、挙式前の新婦控室を一人で訪れるのは、傍目からは奇異な光景に映るだろうが――。
「すごく綺麗だよ、花嫁さん」
「そう言ってくれるの、優作先生だけだよ」
スツールから立ち上がり、純白のドレスに身を包んだ新婦は、裾をたくし上げながらゆっくりと近づいてくる。かなり歩きにくいらしい。
「僕だけ? 秀平は?」
「綺麗とか可愛いとか好きだとか愛してるとか、そんなこと言うわけないし」
「口に出さないだけで、ちゃんと心では思ってるよ、きっと」
「うん。分かってる」
強くなった。
彼女と出会ったのは、優作が大学三年生のときだった。
当時高校三年生だった彼女の、家庭教師をすることになったことがきっかけである。
自分の弟と同級生だった彼女は、どうしても弟と同じ大学に行きたいのだと、そう優作に説明していた。
優作はいろいろな思いを込めて、彼女に笑顔を送った。
「梨緒子ちゃんはもう、僕の生徒から卒業だね」
「どうして? 優作先生はずっと先生でしょ?」
「僕がいなくても、もう大丈夫。これからは、あいつと二人で頑張って」
花嫁は黙った。
言葉の意味魅するものを、どうやら図りかねているらしい。
優作は続けた。
「僕は家庭教師として失格だった。北大へ合格させてあげられなかったんだから」
自分の役目は何だったのか――優作は今でも考えることがある。
恋愛に不器用な二人を、ずっと陰から支え続けてきた。
そして、大きな障害を何度も乗り越えて、ようやくここまで辿り着いたのである。
弟とその彼女は、長い遠距離恋愛を経て結ばれ、今日、晴れて夫婦となる。
「梨緒子ちゃん、本当におめでとう。よく頑張ったね」
そのひと言に、すべては集約されるだろう。
頑張ったのは他でもない、本日主役の二人である。
「優作先生――」
「なに?」
花嫁は一歩前に進み出た。触れてしまう寸前まで、接近してくる。
見上げる眼差しは、潤んだ輝きを放っている。
「大好き」
滑らかな光沢のウエディングドレスが、花の香りとともにまとわりついた。
「こらこら。花嫁が他の男に抱きついてどうするの」
口ではそう言いつつも、優作は花嫁の腕を振り解こうとはしなかった。
「優作先生でよかった。……兄弟だからとか、そんなんじゃなくて」
肩に頬を寄せながら喋る彼女の声が、細かな震えとなって優作の身体に伝わってくる。
「優作先生がついていてくれたから、いつだって頑張れた」
優作は思いを馳せるようにして、ゆっくりと目を閉じた。
長い時間、彼女と過ごしてきた楽しい思い出が、次から次へとあふれてくる。
泣き顔も、笑顔も、落ち込んだ顔も――優作はすべてを知っている。
「大変なのはこれからだよ。僕の弟は、頑固で独占欲が強くて嫉妬深くて一筋縄じゃいかない、どうしようもないバカなんだから」
「あははは、その通り!」
優作の身体から、ようやく花嫁が離れていく。
どこまでも幸せそうな、それでいて自信に満ちた、華やかな笑顔だ。
これで良かったのだ――優作は優しく微笑みを返し、そのまま新婦の控室を後にした。
(了)