初めての贈り物

 芹沢家恒例の、午後のティータイムの時間である。
 食堂の大きなテーブルの端と端には、芹沢英輔とその孫娘が座っている。
 不自然な距離を置いている二人は、同じ部屋にいるだけという状態だ。芹沢氏は紅茶を、孫娘の華音はメープルシロップがたっぷりとかかったホットケーキを、執事はそれぞれ給仕する。

 そこへ、芹沢家に居候している青年が、大きな紙袋を携えて食堂へと姿を現した。
 音楽大学の三年生である青年・富士川祥は、芹沢氏の一番弟子である。
「どうしたんだね祥、その荷物は」
 大学から帰ってきた弟子の姿を、師は訝しげに見つめている。
 執事の乾は給仕を続けながら、主人に助言をした。
「旦那様、今日はバレンタインデーでございますから」
 その説明ですべてを納得したのか、芹沢氏は軽く頷いてみせると、黙って紅茶のカップに口をつけた。
 これだから若者のやることは――どことなく呆れも入り混じった師の表情に、富士川は慌てて説明をする。
「義理でいただいたものばかりなんです! 本当です! あ、先生よろしかったら召し上がりませんか? そうだ! 乾さんもどうです? 俺、あんまり甘いものは好きじゃないんです。お酒入ってるのはさすがに華音ちゃんにあげられないし……」
 何も聞いていないうちから、いつになく饒舌に喋る弟子を、芹沢氏は無言で見つめている。
 執事は穏やかに微笑んで、華音に語り掛けた。
「華音様、明日からしばらくおやつはチョコレートですよ」
「……いらない」
「あら、何故ですか? 華音様の好物でございましょう?」
「ごちそうさまでした」
 華音はホットケーキを半分も食べ進まないうちに、フォークを置いて立ち上がった。
 うつむき加減のまま、何故か富士川の方に顔を向けようとしない。
「華音様、もうお宜しいので?」
「しゅくだい、いっぱいあるから」
 華音はそういい残し、そのまま食堂を駆け出すようにして出て行ってしまった。
 残された大人の男達は、訳が分からず顔を見合わせるばかりだ。
 華音はまだ小学校二年生である。おやつの時間を惜しむほどの宿題が出されたことは、これまで一度もない。
 何か別の理由があるのは、明らかだ。
 芹沢氏は深々とため息を漏らした。
「祥、様子を見てきなさい」
「解りました、先生」
 富士川は手にしていたチョコレートをすべて執事に預け、二階へと向かった。

「入るよ、華音ちゃん」
 華音は自室のベッドの上にいた。
 予期せぬ人物の訪問に、慌てて掛け布団の中に何かを隠すような仕草をする。
 華音の座っている横に、明らかに不自然な掛け布団のしわが出来ている。
 富士川青年は、あえてそこには触れなかった。ゆっくりと歩み寄り、わずかに距離を取ってベッドの端に腰掛ける。
「どうしたの、芹沢先生が心配してたよ」
「私、チョコなんか食べないから」
「え? ああ、別に気にしなくてもいいんだよ。乾さんも別に悪気があって言ったわけじゃないから――毎日おやつがチョコレートじゃ、華音ちゃんも嫌だよね」
 富士川がなだめるように言うと。
 突然、少女は涙をこぼし始めた。
 どうしてなのだろう――その理由が富士川には分からない。
「どうしたの――なんで泣いてるの? ほら、ちゃんと俺に話して聞かせて」
 富士川は幼い少女の背中を包み込むようにして、しっかりと抱き寄せた。
「だって、チョコレート好きじゃないんでしょ? あげたって、どうせ祥ちゃん食べないんでしょ?」
 華音はすすり泣きながら、布団の下から子供向けのファンシーキャラクターが印刷された包装紙の小さな包みを取り出した。
「……俺に?」
「いい、自分で食べるもん」
 富士川は思わず目を瞠った。
 幼稚園に上がる前から華音の面倒を見てきた富士川にとって、この彼女の成長ぶりは少なからずの衝撃だった。
 純粋な恋愛感情ではないのだろうが、彼女にとっての「一番好きな異性」に選ばれたことには違いない。
 富士川はもう一度華音を抱き締めると、嬉しそうに目を細めて、これだけはちゃんといただきます、と優しく答えた。


(了)