媚薬と魅惑のキス

 高校二年生、十七歳。
 それが、目の前にいる少女の年齢のはずだ。
 しかしこの艶かしい雰囲気は、とても一つ年上とは思えない――鷹山少年は西洋人形のような大きな瞳を、彼女の透き通るような白い肌に向けた。
「両親ね、今日帰ってこないんだ」
 彼女の部屋に招き入れられ、モノトーンでまとめられたインテリアを隅々見回した。
 鷹山少年がイメージしていた女の子の部屋とは、かなり開きがある。
 部屋の隅には小型のグランドピアノが置いてあった。裕福な家庭で音楽の英才教育を受けているなら、決して珍しいことではない。
「彼女いるの?」
 沈黙を恐がる彼女は、努めて年上ぶった声を出している。それが、鷹山の目には滑稽に映った。
「いたらこんなところまで来ないよ」
「へえ、意外と堅いんだ」
 これが『堅い』――二股をかけるなんて、鷹山は考えたこともない。それが当たり前だと思っていた。
 価値観の違いか、あるいは経験の差か。
「ピアノ、弾いてもいい?」
「いいよ。何を弾いてくれるの?」
 鷹山が選んだのは、彼女が校内コンクールで弾いた曲だった。
 その選曲に、彼女の瞳は驚いたように見開かれる。
 下級生のピアノなど見向きもしていなかったのだろう。旋律を生み出す鍵盤上の指を、じっと見つめている。
 鷹山は旋律を紡いだまま、傍らに立ちすくむ美しき少女を見上げた。
「先輩のピアノはいつもここでもたつく。――こうやって弾けばいいんじゃないの?」
「……生意気」
「よく言われる」
 鷹山は再び鍵盤に視線を戻し、はにかむように笑いながら、先を弾き続けた。
 彼女が鷹山と隣り合うようにして、ピアノ用長椅子に後ろ向きに腰掛ける。
 不意に音が止んだ。
 頬に受けた感触に、鷹山は驚き――もう指が動かない。
 すぐ隣にいる彼女へ顔を向けると、一呼吸置く間もなく、今度はその感触を唇に受けた。
 甘い香りに脳髄が痺れていく。
「ひょっとして、初めて?」
「先輩は?」
「初めてじゃない――ガッカリした?」
「僕をここへ連れ込んでるくらいだから、別に不思議じゃないけど」
「止めて、そんな言い方!」
 彼女が珍しく声を荒げる。
 そこには年上の余裕など、もはや存在しない。
 二人は至近距離で、しばらく見つめ合っていた。ピアノ用長椅子が、二人の重みで微かに軋む。
 鷹山は大きな瞳をゆっくりと瞬かせながら、静かに告げた。
「学校中、噂で持ちきりだよ。先生に弄ばれた挙句、捨てられた――って」
「……知ってたの?」
「そしてその続き。その憂さ晴らしに、今度は年下の男を弄んでる、ってさ」
「…………何、それ。ハハッ、馬っ鹿みたい」
「でも、先生は資産家の娘と結婚が決まったし、先輩じゃもう、太刀打ちできないんじゃないの?」
 鷹山少年は、今にも泣いてしまいそうな少女に軽く口づける。
 目眩めく未知の感触。
 彼女とのキスは、確実に鷹山少年の理性を奪っていく。
「僕のことは遊びなの?」
「鷹山君は、とても遊びで付き合える子なんかじゃない……でしょ」
 遊びでも本気でもない境界線上に、彼女はいる。
 しかし、それは鷹山少年も同じだ。
 満たされたい。ただそれだけ。
 同じ人種だけが分かり合える『匂い』を、無意識のうちに感じ取っていたのかもしれない。
 だからいつしか、こうやって惹かれ合うのだ。

 やがて。
 お互いがお互いを受け入れたいと思う、その瞬間が二人同時に訪れる。
「だったら――証明してみせて」
「証明?」
「うん。先輩の本気が見たい」
「本当に、生意気。どうなっても……知らないから」

 その日、鷹山は初めて――朝帰りを経験した。


(了)