Presents for you
鷹山の仕事部屋である芹沢家の二階書斎で――。
華音はいつものように、鷹山に言いつけられた雑用を淡々とこなしていた。
十二月二十三日、明日は『クリスマスイヴ』である。
華音は何となく、クリスマスイブの予定は空けてあった。
鷹山とは初めてのクリスマスとなる。しかし、彼からそれらしいお誘いは、まだ無い。
彼はウィーン暮らしが長かったから、日本における恋人同士のクリスマスというものに馴染みがないのかも――と、華音は都合のいいように解釈してみる。
しかし、ウィーン・オーストリアはヨーロッパ。キリスト教圏である。
クリスマスを特別な日と考えるのは、日本以上のはず。
――なんか、ヘコむ。
とりあえず、イヴまでまだ一日ある。本当のクリスマスならあと二日。
鷹山の出方を待つしかないのか――華音は仕事を一段落させると、書斎の中央に置かれた応接セットのソファに、無気力状態で腰掛けた。
鷹山は相変わらず、窓際の自分の専用デスクで音楽雑誌に目を通している。
しばらくすると、雑誌を閉じる音がした。
華音がふと、そちらに顔を向けると、鷹山はデスクのキャビネットを開け、何かを取り出し、それを持って華音のほうへと近づいてきた。
「はい、僕からのクリスマスプレゼント」
左右の手にそれぞれ、大きな箱と小さな箱が載っている。
フライングだ――華音は驚きのあまり、声も出せない。
鷹山は、華音の左に並ぶようにしてソファに腰掛けた。そして目の前のテーブルに、大きさの違う二つの箱を置く。
一つは百科事典ほどの大きさで、もう一つは手のひらに易々と収まる小さな箱だ。
「どちらか好きなほうを選んでいいよ」
「じゃあ、こっち」
華音は迷うことなく、大きいほうを選んだ。
「……あのさ、君は舌切りスズメの話を知ってる?」
「知ってるけど、鷹山さんは天邪鬼だから、逆もありかなと思って」
「君のその言い方、なんか可愛くない」
華音はそんな鷹山の戯言を適当にあしらい、すぐに包みを開けた。
すると。
丁寧な梱包の中から木箱が現れた。さらにそれを開けると、シンプルなチョコレートケーキが姿を現す。
えも言われぬカカオの香りが漂ってくる。
「あ、美味しそう」
華音が顔をほころばせると、鷹山は嬉しそうに言った。
「僕の大好物なんだ。本物のザッハートルテだよ。ウィーンからね、航空便で取り寄せたんだ」
鷹山はあらかじめ用意していたらしいフォークをポケットから取り出し、それをザッハートルテに豪快につき立て、器用に一口大に崩していく。
「はい、アーンして」
「……自分で食べるからいい」
「誰も見てないよ。ほら、早く」
鷹山は華音の鼻先にフォークに刺さったケーキの欠片をちらつかせる。
華音はおずおずとザッハートルテに噛り付いた。フォークと口の合間からかけらがこぼれ落ちる。
鷹山は華音のあごに空いている手を添えて、それを受け止めた。
「下手くそ」
手のひらの上のこぼれた欠片を、鷹山は吸うようにして自分の口に入れた。
当たり前のことのように、自然に振る舞っている。
――慣れない、こういうの。
間接キスだけで、華音の心は勝手に高揚してしまう。
鷹山はフォークをテーブルの上に置くと、身体をやや華音のほうへ向け、腰掛け直した。
「で? 君は僕に何をくれるの?」
華音は困った。
実は自分の部屋に用意はしてあるのだが、まさか今日そのやり取りが行われるとは思っていなかったため、まだ包装できていなかった。
「何が欲しいんですか? 私にできる範囲のことなら、考えますけど」
「へえ、何でも言うこと聞いてくれるの?」
鷹山はふざけるようにして身体をすり寄せてくる。
「とりあえず、エロいのは止めて下さい」
すると鷹山は、途端に距離を置くようにその身を離した。
「それじゃあ、欲しいものがなくなるじゃないか」
華音は両目をしっかりと見開き、鷹山の顔を凝視した。あまりにも解り易すぎるその態度に、華音はしどろもどろになってしまう。
それを見て、鷹山は爆笑した。
「ひょっとして、本気にした? 馬鹿だー。いったい僕のこと、何だと思ってるんだよ。ムカツクこの人ー」
腹を抱えて大袈裟に笑い転げながら、人のことを小馬鹿にしてはしゃぎまくる。
「じゃあさ……『プレゼントありがとう』のキスを、僕の頬にして」
そのくらいなら。まあ、妥当なところだろう。
華音が頷くと、鷹山はソファの背に身を預けなおし、目を閉じた。
睫毛が長い。横顔だとそれがハッキリと分かる。
華音がゆっくりと唇を頬に近づけていくと、突然鷹山の大きな目が見開いた。
「やっ……」
鷹山は無防備に近づく華音の腰を強引に引き寄せ、有無を言わさず唇を重ねた。
――騙された。
この男の言うことを真に受けてはいけないのだ。
しかし、時既に遅し。
逃れられぬよう、片手で後頭部をしっかり押さえつけられ、もう片方の手は華音の両腕ごと背中に回されて、そのままソファの背に押し付けられ、動きを封じられる。
うめきもがく華音を、鷹山は尚も強く押さえつけてくる。
あまりの濃密なキスに気が遠くなりかけた、その時――。
書斎のドアをノックする音がした。
「鷹山さん、美濃部です」
助かった――華音は安堵した。
「――鷹山さん? いらっしゃいますか?」
しかし。
それでも鷹山は止めようとしない。逃れようとする華音の唇を、どこまでも追いかけてくる。
右に左に、上に下に。キスの雨を降らせる。
――うそ、うそ、信じられないこの男ーっ!!
目と口が笑っている。わざと続けるつもりなのだ、きっと。
華音は絶望的な気持ちになった。
ドアの向こうに、美濃部青年がいる。下手に声も出せない。
華音はありったけの力を振り絞って、鷹山の束縛を解こうと抗った。
「あれ、いらっしゃらないんですか? 入りますよ? すみません、失礼します」
ギリギリのところでようやく華音は逃れ、勢いあまってソファからずり落ち、床に這いつくばった。
必死に呼吸の乱れを整えようとするが、不自然なことこの上ない。
鷹山は何事もなかったかのように平然とすまし、美濃部の相手を始める。
「どうしたんだい、美濃部君? 今日はオフのはずじゃなかった?」
「ええ。実はですね、これから団員たち有志が集まって、私の部屋でクリスマスパーティーをするんですよ。もしよろしければ、お二人にもぜひ、来ていただけたらなあと思いまして」
鷹山は素直に頷いた。
「へえ、楽しそうだね。どうする? 芹沢さん」
「……い、行きます。ぜひ、行かせてください!」
華音は這ったまま、背後にいるであろう美濃部青年に返事をした。
この状況から逃れるなら、どこへだって行ってやる――とにかく必死だ。
「本当ですか? それは嬉しいなあ。……それはそうと華音さん、どうかなさったんですか?」
「何か勝手にソファから落ちたんだよ。芹沢さんは落ち着きがなくて困るよ」
いつもこうだ。お人好しの美濃部青年が事情を知らないことをいいことに、調子のいいことをしゃべりまくる。
その証拠に、美濃部は簡単に鷹山の二枚舌に引っ掛かる。何の疑問も持たずに納得したようだ。
「あ、そうだったんですか……あれ、二人でケーキ食べてたんですか?」
「ああ、これ持って行っていいよ。二人じゃ食べきれなかったし、ちょうどいい。ウィーンから取り寄せたんだ」
「じゃ、ありがたくいただきます。私、階下で待ってますので、準備ができたら一緒に車で行きましょう」
美濃部がザッハートルテを持って出て行ってしまうと、華音はすぐさま鷹山に食いついた。
「嘘つき。ついでに、ひとでなし! エロ悪魔!! みっ、美濃部さんに、美濃部さんに見られるところだったじゃない!」
「美濃部くんもいいところで邪魔してくれたよね。いや、逆に盛り上がったかな? 君の慌てようといったら、傑作だったよ」
やっぱり、悪魔だ。
「ほらほらそんなに拗ねるなよ。そっちの小さい箱も、君にあげるから」
鷹山は、テーブルの上に残されたままの、小さな箱を指差した。
「…………これ?」
華音が訝しげに包みを開けると、さらにひとまわり小さなビロードの小箱が出てきた。
――もしかして、これって?
思わず贈り主を振り返ると、本人は出掛けるために既にコートを羽織り、華音に背を向けてしまっている。
照れているのだ、おそらく。
小箱の蓋を開け中を覗くと――清楚な光を放つ愛情の証が、確かな存在感を持って輝いていた。
華音はいつものように、鷹山に言いつけられた雑用を淡々とこなしていた。
十二月二十三日、明日は『クリスマスイヴ』である。
華音は何となく、クリスマスイブの予定は空けてあった。
鷹山とは初めてのクリスマスとなる。しかし、彼からそれらしいお誘いは、まだ無い。
彼はウィーン暮らしが長かったから、日本における恋人同士のクリスマスというものに馴染みがないのかも――と、華音は都合のいいように解釈してみる。
しかし、ウィーン・オーストリアはヨーロッパ。キリスト教圏である。
クリスマスを特別な日と考えるのは、日本以上のはず。
――なんか、ヘコむ。
とりあえず、イヴまでまだ一日ある。本当のクリスマスならあと二日。
鷹山の出方を待つしかないのか――華音は仕事を一段落させると、書斎の中央に置かれた応接セットのソファに、無気力状態で腰掛けた。
鷹山は相変わらず、窓際の自分の専用デスクで音楽雑誌に目を通している。
しばらくすると、雑誌を閉じる音がした。
華音がふと、そちらに顔を向けると、鷹山はデスクのキャビネットを開け、何かを取り出し、それを持って華音のほうへと近づいてきた。
「はい、僕からのクリスマスプレゼント」
左右の手にそれぞれ、大きな箱と小さな箱が載っている。
フライングだ――華音は驚きのあまり、声も出せない。
鷹山は、華音の左に並ぶようにしてソファに腰掛けた。そして目の前のテーブルに、大きさの違う二つの箱を置く。
一つは百科事典ほどの大きさで、もう一つは手のひらに易々と収まる小さな箱だ。
「どちらか好きなほうを選んでいいよ」
「じゃあ、こっち」
華音は迷うことなく、大きいほうを選んだ。
「……あのさ、君は舌切りスズメの話を知ってる?」
「知ってるけど、鷹山さんは天邪鬼だから、逆もありかなと思って」
「君のその言い方、なんか可愛くない」
華音はそんな鷹山の戯言を適当にあしらい、すぐに包みを開けた。
すると。
丁寧な梱包の中から木箱が現れた。さらにそれを開けると、シンプルなチョコレートケーキが姿を現す。
えも言われぬカカオの香りが漂ってくる。
「あ、美味しそう」
華音が顔をほころばせると、鷹山は嬉しそうに言った。
「僕の大好物なんだ。本物のザッハートルテだよ。ウィーンからね、航空便で取り寄せたんだ」
鷹山はあらかじめ用意していたらしいフォークをポケットから取り出し、それをザッハートルテに豪快につき立て、器用に一口大に崩していく。
「はい、アーンして」
「……自分で食べるからいい」
「誰も見てないよ。ほら、早く」
鷹山は華音の鼻先にフォークに刺さったケーキの欠片をちらつかせる。
華音はおずおずとザッハートルテに噛り付いた。フォークと口の合間からかけらがこぼれ落ちる。
鷹山は華音のあごに空いている手を添えて、それを受け止めた。
「下手くそ」
手のひらの上のこぼれた欠片を、鷹山は吸うようにして自分の口に入れた。
当たり前のことのように、自然に振る舞っている。
――慣れない、こういうの。
間接キスだけで、華音の心は勝手に高揚してしまう。
鷹山はフォークをテーブルの上に置くと、身体をやや華音のほうへ向け、腰掛け直した。
「で? 君は僕に何をくれるの?」
華音は困った。
実は自分の部屋に用意はしてあるのだが、まさか今日そのやり取りが行われるとは思っていなかったため、まだ包装できていなかった。
「何が欲しいんですか? 私にできる範囲のことなら、考えますけど」
「へえ、何でも言うこと聞いてくれるの?」
鷹山はふざけるようにして身体をすり寄せてくる。
「とりあえず、エロいのは止めて下さい」
すると鷹山は、途端に距離を置くようにその身を離した。
「それじゃあ、欲しいものがなくなるじゃないか」
華音は両目をしっかりと見開き、鷹山の顔を凝視した。あまりにも解り易すぎるその態度に、華音はしどろもどろになってしまう。
それを見て、鷹山は爆笑した。
「ひょっとして、本気にした? 馬鹿だー。いったい僕のこと、何だと思ってるんだよ。ムカツクこの人ー」
腹を抱えて大袈裟に笑い転げながら、人のことを小馬鹿にしてはしゃぎまくる。
「じゃあさ……『プレゼントありがとう』のキスを、僕の頬にして」
そのくらいなら。まあ、妥当なところだろう。
華音が頷くと、鷹山はソファの背に身を預けなおし、目を閉じた。
睫毛が長い。横顔だとそれがハッキリと分かる。
華音がゆっくりと唇を頬に近づけていくと、突然鷹山の大きな目が見開いた。
「やっ……」
鷹山は無防備に近づく華音の腰を強引に引き寄せ、有無を言わさず唇を重ねた。
――騙された。
この男の言うことを真に受けてはいけないのだ。
しかし、時既に遅し。
逃れられぬよう、片手で後頭部をしっかり押さえつけられ、もう片方の手は華音の両腕ごと背中に回されて、そのままソファの背に押し付けられ、動きを封じられる。
うめきもがく華音を、鷹山は尚も強く押さえつけてくる。
あまりの濃密なキスに気が遠くなりかけた、その時――。
書斎のドアをノックする音がした。
「鷹山さん、美濃部です」
助かった――華音は安堵した。
「――鷹山さん? いらっしゃいますか?」
しかし。
それでも鷹山は止めようとしない。逃れようとする華音の唇を、どこまでも追いかけてくる。
右に左に、上に下に。キスの雨を降らせる。
――うそ、うそ、信じられないこの男ーっ!!
目と口が笑っている。わざと続けるつもりなのだ、きっと。
華音は絶望的な気持ちになった。
ドアの向こうに、美濃部青年がいる。下手に声も出せない。
華音はありったけの力を振り絞って、鷹山の束縛を解こうと抗った。
「あれ、いらっしゃらないんですか? 入りますよ? すみません、失礼します」
ギリギリのところでようやく華音は逃れ、勢いあまってソファからずり落ち、床に這いつくばった。
必死に呼吸の乱れを整えようとするが、不自然なことこの上ない。
鷹山は何事もなかったかのように平然とすまし、美濃部の相手を始める。
「どうしたんだい、美濃部君? 今日はオフのはずじゃなかった?」
「ええ。実はですね、これから団員たち有志が集まって、私の部屋でクリスマスパーティーをするんですよ。もしよろしければ、お二人にもぜひ、来ていただけたらなあと思いまして」
鷹山は素直に頷いた。
「へえ、楽しそうだね。どうする? 芹沢さん」
「……い、行きます。ぜひ、行かせてください!」
華音は這ったまま、背後にいるであろう美濃部青年に返事をした。
この状況から逃れるなら、どこへだって行ってやる――とにかく必死だ。
「本当ですか? それは嬉しいなあ。……それはそうと華音さん、どうかなさったんですか?」
「何か勝手にソファから落ちたんだよ。芹沢さんは落ち着きがなくて困るよ」
いつもこうだ。お人好しの美濃部青年が事情を知らないことをいいことに、調子のいいことをしゃべりまくる。
その証拠に、美濃部は簡単に鷹山の二枚舌に引っ掛かる。何の疑問も持たずに納得したようだ。
「あ、そうだったんですか……あれ、二人でケーキ食べてたんですか?」
「ああ、これ持って行っていいよ。二人じゃ食べきれなかったし、ちょうどいい。ウィーンから取り寄せたんだ」
「じゃ、ありがたくいただきます。私、階下で待ってますので、準備ができたら一緒に車で行きましょう」
美濃部がザッハートルテを持って出て行ってしまうと、華音はすぐさま鷹山に食いついた。
「嘘つき。ついでに、ひとでなし! エロ悪魔!! みっ、美濃部さんに、美濃部さんに見られるところだったじゃない!」
「美濃部くんもいいところで邪魔してくれたよね。いや、逆に盛り上がったかな? 君の慌てようといったら、傑作だったよ」
やっぱり、悪魔だ。
「ほらほらそんなに拗ねるなよ。そっちの小さい箱も、君にあげるから」
鷹山は、テーブルの上に残されたままの、小さな箱を指差した。
「…………これ?」
華音が訝しげに包みを開けると、さらにひとまわり小さなビロードの小箱が出てきた。
――もしかして、これって?
思わず贈り主を振り返ると、本人は出掛けるために既にコートを羽織り、華音に背を向けてしまっている。
照れているのだ、おそらく。
小箱の蓋を開け中を覗くと――清楚な光を放つ愛情の証が、確かな存在感を持って輝いていた。
(了)