一番に言って?

 安藤類と江波梨緒子が付き合い始めたというウワサは、あっという間に広がった。
 もともと二人が仲が良かったことを知っているクラスメートたちは、新しいカップルの誕生を喜んでいるようだ。

 しかし、その一方で。

 美月は多くを語らない。
 いままで片時も離れることなく一緒にいたのに、突然行動を共にしなくなり、比較的仲の良い別のグループに入ってしまった。

 男一人女二人の仲良しグループの中に、カップルができてしまうと、余った一人は当然、気をつかわざるをえなくなる。
 美月がいままさに、その状況に置かれているのだ。


 夏期講習は、今日は午前で終了。
 うだるような真夏の炎天下の中、下校しなければならない。
「なー、リオ。帰りにマック、寄ってこーぜ」
 梨緒子がノートや筆記用具をカバンにしまいこんでると、背後から類がやってきた。
 類がこうやって誘ってくることは、別に珍しくはない。付き合い始めたといっても仲の良い友達の延長なのだから、ドキドキとかトキメキとか、そういった恋愛特有の感覚はほとんどない。
「え? ああ、うん。いいけど……美月ちゃんのことはどうするの?」
「リオがいいんなら一緒でも構わねーけどさ。誘ってもあいつ、付いてこないだろ」
 梨緒子は悩んだ。
 確かに類の言う通りなのだろうが――このまま美月と気まずいまま疎遠になるのは、どうしても避けたかった。

 ちょうどその時。
 ウワサ好きのクラスメートが、二人に近づいてきた。
 前田という男子生徒である。類とよくつるんで周りの雰囲気を盛り上げる、ムードメーカー的な少年だ。前田はいつものように、親しげに話しかけてくる。
「江波さん、安藤のファンに襲われないようにな? なんでか知らないけどこいつ、下級生に熱烈なファンがいるみたいだし」
「なに言ってんだよ、俺が絶対そんなことさせない。つーか、俺のファンはみんないい子ちゃんなんだよ」
 類は秀平ほどではないが、明るく華のある性格で目立ちたがり屋なため、年下の女子生徒の受けがいい。
 真剣に想いを寄せられるというよりは、単に『ちょっとカッコ良くて楽しい先輩』として、アイドル的好感度が高いのだ。
「まあ、江波さんじゃなくて、安藤が襲われるって可能性もあるけどな」
 前田が意地悪く言うと、類はおどけたように笑い、陽気にはしゃぎまくる。
「ええ? どうしよう俺、脱がされちゃったら……今日のパンツ、超派手なんだけど。恥ずかしいっつーの」
「バーカ。襲われるって、そういう意味じゃねえから」
「大丈夫大丈夫。リオとはずーっと離れないから。逆に、俺たちのラブラブをみせつけてやるしー」
 梨緒子はもはや二人の少年の話についていけず、ふと視線を脇に向けた。
 すると。
 美月が白けたような表情で、類を見つめている。
 類は気づいているのかいないのか、大袈裟に騒ぎ続けたままだ。
 カバンを携えそのまま教室を出て行こうとする美月を、梨緒子は慌てて呼び止めた。
「美月ちゃん……今日帰りにね、一緒に――あの」
「私、急いでるから」
 振り返りもせずにひと言だけくれて、美月は梨緒子からどんどん離れていった。

 ――やっぱり、難しい……か。

 梨緒子は落胆のため息をつき、いまだ前田少年とはしゃぐ類の背中をそっと突いた。
「ルイくん、あのね、あんまり大っぴらにしないほうが良くない?」
「何で?」
 困り顔の梨緒子を見て、類は理解不能といった風に肩をすくめてみせる。

 ――何で? 何で、って言われても。

 ハッキリとは言いにくい。
「ほら、……美月ちゃんのこともあるし」
「なあ、リオ。そうやって気いつかったらさ、あいつにもっとイヤな思いさせるんじゃない?」
「そうかなあ」
 梨緒子からしてみれば、類は気をつかわなさすぎだ。
 美月の気持ちを知っているのなら、尚のこと――。
「別にあいつに嘘をついたわけではないし、裏切ったわけでもないし、ましてやあいつのことを嫌いになったわけでもないしさ」
「でも――」
 類は、続く梨緒子の言葉を遮るようにして、軽快に笑い出した。
「リオってホント、優しいよなー。そこがまた、いいところなんだけど」

 ――何だか、スッキリしない。

 確実に、梨緒子よりも美月のほうが、この類少年に対する気持ちは大きいのだ。
 何とも言えない、罪悪感。
 後ろめたさばかりが、胸に残る。

 片想いの彼を、ある日突然、親友に奪われることになったら。
 しかもその親友は、彼から告白されてなんとなく付き合っただけなんだとしたら。

 そんなの、つらすぎる。
 きっと、許せないに違いない。


 梨緒子の気がかりは、もう一つあった。
 孤高の王子様・永瀬秀平である。

 秀平のほうは、いつもと変わった様子はない。
 物静かに講習を受け、休み時間には人込みを避けるようにどこかへ消える。
 そのことが逆に、梨緒子の心を曇らせる。
 きっと、軽蔑されている。秀平の耳にも、梨緒子たちが付き合い始めたことは届いているはずだ。

 じっと秀平の姿を目で追っていると、一瞬、目が合った。
 しかし、秀平はすぐさま、ハッキリと梨緒子から顔を背けてしまった。

 ――ああ。完全に、嫌われた……な。

 秀平も美月も教室から出て行ってしまい、残されるのは空虚な思いだけだ。

 梨緒子は奥歯をかみしめ、涙が出そうになるのを必死にこらえた。
「俺らもそろそろ帰るとするか? ……どうした、リオ?」
「ううん……何でもない」
 まるで子供相手のように、類は梨緒子の頭を優しく撫でる。
「リオ、何かヤなこととかあったらさ、俺に一番に言って?」
 もうすでに、学校での自分の居場所は、ここしかないのだ――梨緒子は類の笑顔に救われながらも、交差するさまざまな想いに苛まされていた。