コレだもんなぁ。

 雪のちらつく、とある寒い夜のことだった。
 梨緒子が受験勉強をしていると、兄の薫がノックもなしに部屋に入りこんでくる。遠慮も何もあったものではない。
 突然、キレイな兄貴は奇妙なことを言い出した。
「梨緒子、お前が作ってたはちまき、あれ貸して」
「……どうするの?」
「生地の材質とか色とか見たいから」
 薫は服飾デザイナーを目指している。いろいろな素材に興味を持つことはよくあることだった。
「タンスの一番下の引き出しに、余ったハギレつめた紙袋があるから、それ使っていいよ」
「いいから、はちまき。早く」
 薫は譲らない。
 よっぽど急いでいるのだろうか――。
「ええ? もう……ちゃんと返してよ?」
 梨緒子は渋々、制服の内ポケットに入れてあったはちまきの片割れを、薫に差し出した。


 事件はその数時間後に起こった。
「何これ!」
 梨緒子は呆然となった。
 貸したはずのはちまきの姿形はどこにも残っていない。
 代わりに差し出されたのは、ストラップ風のアクセサリーだった。見覚えのある色の布で作られており、立体的な星の形をしている。星の中に星をあしらい、凝ったデザインに仕上がっている――が、しかし。
「ヒドイ……どうしてくれるの!?」
「可愛くない? コレ」
「ハギレ使ってって、言ったじゃない!」
「幅がちょうど良かったんだよ。そんなに怒るなって」
 そんな理由で――。
 到底、怒らずにはいられない。
 梨緒子の反応に、薫はしきりに首を傾げている。
「おっかしいなー、優ちゃんはいいデザインだって褒めてくれたんだけど。学内のコンテストに出そうと思ってたから、いろいろと素人さんの意見も取り入れてみたんだよ。ほら、自分の子供の産毛をさ、筆にする親っているじゃん。それと同じだろ。ただのはちまきの切れ端より、ストラップのほうが実用的だし」
「ただの、ただの、ただのはちまきの切れ端!?」
「だって、その長さじゃはちまきとしても使えないし。そうそう、学業成就のお守りだと思えばいいじゃん」
「こんなに切り刻んで……」
「ちゃんと星の形に繋ぎ直したじゃん。それにこれさ、ちゃんと……」
 梨緒子は薫の言い訳をかき消すほどの大声で、怒鳴りつけた。
「薫ちゃんの馬鹿! 最低! 女男! いまから兄妹の縁切る!!」
 梨緒子は星の形に加工されてしまった水色のはちまき「だった」ものを、机の上に投げつけ、ベッドに飛び込むようにして頭から布団をかぶった。

 全然分かっていない。
 薫も梨緒子と同じ高校を卒業しているのだから、はちまきのジンクスを知っているはずなのに。
 もう付き合うことができたのだから、はちまきはただの布切れ――いや、そんなことはない。
 コンテストだか何だか知らないが、勝手にその練習の材料にされてしまうなど。
 油断してしまった自分も悪い。
 どんなことがあっても、肌身離さず持っていればよかったのだ。


 次の日、梨緒子は薫と顔を合わせるのが嫌で、いつになく家を早く出て学校へ向かった。
 学校に着いてからも、梨緒子はずっとイライラしっぱなしだった。
 秀平に申し訳が立たないという気持ち。
 そして、薫に対する止まることを知らない怒りの感情。
 秀平とは学校で直接話をしないと決めたため、半分に分けたはちまきを見せてと彼に言われることはないだろう。
 自分から言わなければ、おそらくばれることはない。
 しかし。
 いままでの自分たちのすべてが台無しにされてしまったような気持ちで一杯で、梨緒子はとにかく罪悪感にさいなまされていた。

 帰りのホームルールが終わった。しかし、あまりの後ろめたさに秀平の姿を目で追うこともできない。
 そのときである。
 梨緒子の席へ、帰り支度をすませた美月がやってきた。
 グレーのコートに白いマフラー。完全に冬装備である。美月は好奇心一杯の笑顔を梨緒子に向けた。
「ねえねえ梨緒ちゃん、見たあれ?」
「何を?」
「永瀬くん、カバンに小さい星なんかつけてた。ねえ、ひょっとしてあれ、梨緒ちゃんのプレゼント?」
「……星?」
「違うの? じゃあ、自分で買ったのかな。なんか意外じゃない?」
 確認しようにも、秀平は帰ってしまった後だった。
 現物を見ないうちは、どうにも対処できない。
 ひょっとしたらという気もしたが、確証はどこにも無かった。



 その夜、午後十時をまわったころである。
 梨緒子は秀平にメールを送ることにした。
 一日一回限りの、最近の日課となっている。
 勉強しているところをアピールしようと思い、あえてタイトルを英語で入力した。
 彼氏は学年イチの秀才だ。意味が理解できないなんてことはありえないだろう。


 件名:【How's your day?

 本文:【カバンについてた星の飾り、見せて欲しいな。写メ送ってね】


 その返事は驚くほどの速さでやってきた。
 梨緒子はその反応に嬉しくなり、ワクワクしながらメッセージを確認する。
 しかし。


 件名:【Dearest R

 本文:【カメラ機能使った事ないから、無理。風邪ひかないように。おやすみ】


 ――もう……一日一回限定のメールがこれ?

 タイトルからして意味が分からない。
 梨緒子に対抗して、英語で送り返してきたというその遊び心は嬉しいのだが、肝心の意味が伝わってこなければどうしようもない。
 梨緒子はいてもたってもいられずに、辞書で調べてみた。

 ――DearestDear の最上級で、ええと意味は…………最愛の人??

 どうして、さらりとこういう事が言えてしまうのだろう。
 返信の速さを考えたら、きっとそれは考え抜かれたわけではなく、社交辞令の決まり文句なのかもしれない。
 ただ、そのあとに付けられた『R』の意味するものが、梨緒子にはよく分からなかった。
 聞き返したくても、もうメールはできない。
 秀平のカバンに付けられていたという飾りといい、メールのタイトルといい、謎は深まるばかりである。

 日付が変わり、再びメール着信がある。
 誰からだろう――梨緒子は携帯を確認した。

 ――嘘、秀平くん?

 一日一回までという条件をつけてきたのは他の誰でもない、秀平である。
 その理由は、すぐに分かった。


 件名:【これは今日の分のメール】

 本文:【これでいい? 今日からは、おそろいになるのかな】


 その短いメッセージには、写真が添付されていた。
 使い方が分からないと言っていたはずなのに――。


 梨緒子の目の前に、秀平の部屋の風景がハッキリと浮かび上がる。
 青いカーテンの窓際に勉強机があって、左には本のたくさん詰まった大きな本棚がある。秀平が通学に使っているカバンは、その前に置いてあるはずだ。
 梨緒子からのメールに一度は断ってみたものの、しばらく考え込んで思い直し、使い慣れないメニュー画面をいじって、涼しい顔をしながらカメラのピントを合わせ――そんな秀平の姿を想像してしまう。
 そして律儀にも、日付が変わるのを待って、一日一回・本日のメールを送ってきたのだ。

 ――秀平くんって、ホント…………いや、逆に分かりやすいのかも。

 それにしても、なぜ。
 どうして。
 いつ、どこで、誰が。

 今日からはおそろいに――。
 おそろいに。誰と?

 添付されていた写真の『星飾り』は、たしかに梨緒子が見たことのある色と形をしていた。
 聞きたいことは山ほどある。
 しかし一日一回とメールは制限されている。日付が変わったばかりのいま送ってしまうと、今夜彼に送れなくなってしまう。
 梨緒子は携帯を握り締めたまま、ベッドに腰を下ろした。

 ――今日からはおそろいになる、か。

 梨緒子は、薫がはちまきで作ったストラップ風の星飾りを、通学用のカバンの持ち手にそっとつけた。



 あくる日の朝――。
「使う気になったんだ?」
 梨緒子が靴を履いていると、背後から兄の薫が声をかけてくる。
「……いつ?」
 気まずさは続いている。梨緒子は多くを説明せず、背中を向けたまま兄に尋ねた。
 薫は梨緒子の言わんとすることがすぐに分かったらしい。伊達に兄妹を長くやっていない。
「おととい、かな。優ちゃんちに遊びに行ったとき。アイデアに行き詰まってたし、まあ、気晴らしにね」
 梨緒子は薫の説明を聞き、靴を履き終え立ち上がり、兄を振り返った。
 薫は朝から自作のワンピースに身を包み、腕組みをしながら仁王立ちしている。
「優ちゃんが星にしたら可愛いんじゃないかって言うから。ピンクや黄色ならアレだけど、水色だったら男の子がつけてても別に、アクセントになっていいかなー、ってさ」
「……初めから、ちゃんとそう言ってくれればよかったじゃない?」
「ちゃんとって……それにこれ、ちゃんとおそろいだよ――って言おうとしたら、梨緒子が勝手に人のこと女男だとか暴言吐いて、部屋に閉じこもったんだろう?」
「……怒ってる?」
「まあね。見た目ほどは女々しくないつもりだけど」
 薫は肩をすくめた。
「いいこと教えてあげようか。星の裏に水色の糸で刺繍してある文字」
「文字? 波線みたいなやつのこと?」
「『〜』じゃないよ、横方向から見て『S』。彼氏くんの名前のイニシャルね」

 『S』は秀平の『S』。

「…………ってことは、ひょっとして」
 彼のつけている星飾りの裏にある文字は――。
 ここへ来て、梨緒子はようやくすべてが理解できたのである。

 ――だから、Dearest『R』なんだ。

 頭のいい彼氏を持ってしまうと、こういうところで苦労する。
 ただでさえ自分の気持ちを表現するのが苦手な彼の、些細な物事にこめられるメッセージを、きちんと読み取らなくてはいけないのだから、本当に難しい。
「学校に行ったらさ、自分の目で確かめてみれば?」
「ううん。別にいい。学校では話さない約束だから」
「彼氏くんの反応、なんか面白くてさ。おそろいにしてあげるよって言ったら、ずーっと黙り込んだ挙句、照れたんだか何だか、首だけ『うん』ってさ」
「……『うん』って?」
「そう、『うん』って。よかったねぇ、梨緒子ちゃーん?」
 薫がおどけたように冷やかした。
 そこはかとなく恥ずかしい。そして――。
 梨緒子は両手を広げ、キレイな姉の姿をした兄の華奢な胸に、しっかりと抱きついた。
「薫ちゃんは馬鹿じゃない。やっぱり天才。コンテスト、一位とれるよきっと」
「ハッ、コレだもんなぁ」
 薫は呆れたようなため息をつき、機嫌を直し調子のいいことを言う妹の頭をぐしゃぐしゃにかき回した。
「止めて止めて止めてよもう! いまから出るところなのに! もう、薫ちゃんの馬鹿ーっ!!」
 薫は梨緒子の訴えもどこ吹く風。そのまま背を向け、母さん俺の朝飯は――とキッチンへと消えていった。