Lesson 1 恋人修業のお時間 (1)
「ひどい! ひどすぎる!」
梨緒子は携帯電話に向かって怒鳴りつけた。
相手は彼氏の永瀬秀平である。
「GWに一度戻るって言ってたのに……秀平くんの嘘つき!」
『嘘はついてない』
別れ際に上手いことを並べたて梨緒子を言いくるめ、挙句結果がこれだ。
やり場のない怒りがこみ上げてくる。
秀平は、確かに札幌から一時帰省してきた。しかしイトコの結婚式に招かれているからと早々に家族で他県へ出掛けてしまったのである。
『一泊して次の日には帰る』という彼の言葉を信じて、梨緒子は秀平を待った。
あと半日、あと三時間、あと一時間――。
梨緒子は彼に再会できるその瞬間を待ちわびた。
夜になり、はやる心を抑え切れず、梨緒子は秀平の携帯に電話をかけた。
すると。
「帰ってきた? 秀平くん今どこ?」
『札幌』
そのそっけないヒトコトに、梨緒子は思わず絶句した。
札幌は、彼が現在暮らしている、遥か遠くの異境の都。
頭脳明晰な彼が通う、北海道大学の所在地である。
「…………さ、札幌?」
『そっちに帰ってる時間がもったいなかったから、出先から真っ直ぐ札幌に飛んだ』
「時間が、もったいない??」
秀平の言っていることが、まったく理解できない。
つまり、イトコの結婚式に出掛けて、『次の日には帰る』というのは、自分のところへ帰ってくるということではなかった――なんて。
『大学の同期との予定を入れてたから、仕方なかったんだ』
「ようするに、私に会うつもりで戻ってきたわけじゃないってことなんでしょ!?」
『時間があれば、会おうかなとは思ってたけど』
「じ、時間があれば? 時間がなかったから別にいい――って、そういうこと?」
梨緒子は携帯越しに怒鳴りつけた。
「もういい。勝手にすれば? せいぜい、大学のお友達と楽しく遊んでればいいじゃない!」
そのまま電話を切り、怒りに任せて携帯電話をベッドに投げつける。
信じられない。どこまでも信じられない。
彼は何も分かっていない。
期待していた分、その裏切りによる失意は到底計り知れない。
もう、丸々二ヶ月も会っていないというのに。
再会の喜びを分かち合い、ありったけの力で彼に抱きすくめられたかった。
それなのに。
――私に会わなくても、秀平くんは全然平気なんだ。
次の日。
梨緒子はいても経ってもいられずに、親友の美月を呼び出した。
待ち合わせ場所は高校時代によく寄り道したファーストフード店だ。
二人はそれぞれドリンクとサイドメニューのデザートを注文し、トレイに載せて、奥の席を陣取った。
進学先は分かれてしまったが、お互いの学校は距離的に遠くないため、月に数回はこうやって会ってお喋りできるのである。
「大学の同期との予定? うわー何それ、怪しすぎ」
梨緒子の説明を一通り聞き、美月は大袈裟な反応をしてみせた。
アイスティーで喉を潤しながら、あきれたように肩をすくめている。
「怪しいって、何が?」
「休みの日にわざわざ予定入れてるっていうなら、合コンでしょ」
「合コン? まさか秀平くんがそんなことする訳ないし」
ただでさえ他人と交わるのが苦手な気質で、高校時代は『孤高の王子様』という称号を欲しいままにしてきたくらいなのだ。おそらく本人は気付いていないだろうが――。
まかり間違って、合コンに無理矢理参加させられたとしても、ひと言も喋らずに隅でじっとしているのがオチだ。しかし、それが逆に神秘的な魅力に繋がって、持ち前の端正な容姿で女性陣の心を一手に掴み取る可能性は、限りなく高い。
梨緒子の妄想はどんどん膨らんでいく。
そこへ、美月は追い討ちをかけるように言った。
「言いにくいんだけどさ、……ひょっとして永瀬くん、新しい女ができてたりして」
「え……」
「だって、梨緒ちゃんのこと遠ざけてさ、やたらと早く札幌に帰っちゃうだなんて、……そういうことなんじゃないの?」
そんなこと、考えもしていなかった。
新しい、女。
たとえそれがまだ彼女ということではなくても、いつもそばにいる心を許せる存在の女――それがもし『大学の同期』なのだとしたら。
自分がとても敵わない落ち着いた雰囲気の聡明な女性が当然、秀平の周りにはたくさんいることだろう。
心臓の鼓動がどんどん早まっていく。
胸の中がどんどん不安に彩られていってしまう。
目で見えないものを信じることは、あまりにも難しい。
彼のことは、どこまでも信じたい。
しかし、信じていると、言い切ることができない。
「信じたい」と「信じている」は、決してイコールではないのである。
「永瀬くん、寮とかじゃなく一人暮らしなんでしょ? そしたら簡単に女の子を連れ込めたりするわけだし――」
どうしよう。どうしよう。
自分はどうすればいいのだろう。
親友の顔がおぼろげに揺れる。
梨緒子はもうどうしていいのか分からずに、注文したアイスカフェオレも大好きなアップルパイも、ほとんど手につかず残してしまった。
梨緒子は携帯電話に向かって怒鳴りつけた。
相手は彼氏の永瀬秀平である。
「GWに一度戻るって言ってたのに……秀平くんの嘘つき!」
『嘘はついてない』
別れ際に上手いことを並べたて梨緒子を言いくるめ、挙句結果がこれだ。
やり場のない怒りがこみ上げてくる。
秀平は、確かに札幌から一時帰省してきた。しかしイトコの結婚式に招かれているからと早々に家族で他県へ出掛けてしまったのである。
『一泊して次の日には帰る』という彼の言葉を信じて、梨緒子は秀平を待った。
あと半日、あと三時間、あと一時間――。
梨緒子は彼に再会できるその瞬間を待ちわびた。
夜になり、はやる心を抑え切れず、梨緒子は秀平の携帯に電話をかけた。
すると。
「帰ってきた? 秀平くん今どこ?」
『札幌』
そのそっけないヒトコトに、梨緒子は思わず絶句した。
札幌は、彼が現在暮らしている、遥か遠くの異境の都。
頭脳明晰な彼が通う、北海道大学の所在地である。
「…………さ、札幌?」
『そっちに帰ってる時間がもったいなかったから、出先から真っ直ぐ札幌に飛んだ』
「時間が、もったいない??」
秀平の言っていることが、まったく理解できない。
つまり、イトコの結婚式に出掛けて、『次の日には帰る』というのは、自分のところへ帰ってくるということではなかった――なんて。
『大学の同期との予定を入れてたから、仕方なかったんだ』
「ようするに、私に会うつもりで戻ってきたわけじゃないってことなんでしょ!?」
『時間があれば、会おうかなとは思ってたけど』
「じ、時間があれば? 時間がなかったから別にいい――って、そういうこと?」
梨緒子は携帯越しに怒鳴りつけた。
「もういい。勝手にすれば? せいぜい、大学のお友達と楽しく遊んでればいいじゃない!」
そのまま電話を切り、怒りに任せて携帯電話をベッドに投げつける。
信じられない。どこまでも信じられない。
彼は何も分かっていない。
期待していた分、その裏切りによる失意は到底計り知れない。
もう、丸々二ヶ月も会っていないというのに。
再会の喜びを分かち合い、ありったけの力で彼に抱きすくめられたかった。
それなのに。
――私に会わなくても、秀平くんは全然平気なんだ。
次の日。
梨緒子はいても経ってもいられずに、親友の美月を呼び出した。
待ち合わせ場所は高校時代によく寄り道したファーストフード店だ。
二人はそれぞれドリンクとサイドメニューのデザートを注文し、トレイに載せて、奥の席を陣取った。
進学先は分かれてしまったが、お互いの学校は距離的に遠くないため、月に数回はこうやって会ってお喋りできるのである。
「大学の同期との予定? うわー何それ、怪しすぎ」
梨緒子の説明を一通り聞き、美月は大袈裟な反応をしてみせた。
アイスティーで喉を潤しながら、あきれたように肩をすくめている。
「怪しいって、何が?」
「休みの日にわざわざ予定入れてるっていうなら、合コンでしょ」
「合コン? まさか秀平くんがそんなことする訳ないし」
ただでさえ他人と交わるのが苦手な気質で、高校時代は『孤高の王子様』という称号を欲しいままにしてきたくらいなのだ。おそらく本人は気付いていないだろうが――。
まかり間違って、合コンに無理矢理参加させられたとしても、ひと言も喋らずに隅でじっとしているのがオチだ。しかし、それが逆に神秘的な魅力に繋がって、持ち前の端正な容姿で女性陣の心を一手に掴み取る可能性は、限りなく高い。
梨緒子の妄想はどんどん膨らんでいく。
そこへ、美月は追い討ちをかけるように言った。
「言いにくいんだけどさ、……ひょっとして永瀬くん、新しい女ができてたりして」
「え……」
「だって、梨緒ちゃんのこと遠ざけてさ、やたらと早く札幌に帰っちゃうだなんて、……そういうことなんじゃないの?」
そんなこと、考えもしていなかった。
新しい、女。
たとえそれがまだ彼女ということではなくても、いつもそばにいる心を許せる存在の女――それがもし『大学の同期』なのだとしたら。
自分がとても敵わない落ち着いた雰囲気の聡明な女性が当然、秀平の周りにはたくさんいることだろう。
心臓の鼓動がどんどん早まっていく。
胸の中がどんどん不安に彩られていってしまう。
目で見えないものを信じることは、あまりにも難しい。
彼のことは、どこまでも信じたい。
しかし、信じていると、言い切ることができない。
「信じたい」と「信じている」は、決してイコールではないのである。
「永瀬くん、寮とかじゃなく一人暮らしなんでしょ? そしたら簡単に女の子を連れ込めたりするわけだし――」
どうしよう。どうしよう。
自分はどうすればいいのだろう。
親友の顔がおぼろげに揺れる。
梨緒子はもうどうしていいのか分からずに、注文したアイスカフェオレも大好きなアップルパイも、ほとんど手につかず残してしまった。