Lesson 4 恋敵の憂愁 (2)
結局、秀平からプレゼントのリクエストの催促は、あれから一度もきていない。
梨緒子が『考えておく』と言ったのをそのまま受け取って、こちらから言い出すのを待っているに違いない。
大学での勉強やアルバイトなど、秀平は多忙な日々を過ごしているため、何度もご機嫌うかがいの電話を掛けてくる余裕はないのだろう。
下手すれば、日課となっている晩御飯の写メールが、夜に一回送られてくるきりである。
そのメールには、相変わらずタイトルも本文もない。
寂しい。
寂しい。
――寂しくなんかない、もん。ただプレゼント送ってこられたって、嬉しくないし。
あくまで前向きにとらえ、自分を慰めてみる。
しかし、それは寂しさを認めたくないという梨緒子の強がりでしかない。
――また行こうかな……札幌まで。
言うだけなら簡単だが、金銭事情はあまり芳しくない。
冬休みに秀平が帰省してくると信じきっていたため、梨緒子はお金をほとんど貯めていなかった。
彼へのプレゼントと旅費を両方捻出するとなると、授業の合間をみて、短期のアルバイトを探さなくてはならないだろう。
実際問題、難しいと言わざるをえないのである。
梨緒子はやり切れない思いを胸に抱え、すべてをあきらめたように大きなため息を何度もついた。
それから二週間ほど過ぎた、ある日の午後のことだった。
講義が終わると、同じ看護学科の沢口野乃香が、梨緒子の元へとやってきた。
親友というほどではないが、一緒にご飯やお茶したりする気の合う友人の一人である。野乃香は大人びた雰囲気のある、なかなかの美少女だ。
「江波ちゃん、クリスマスの予定は?」
「特にないけど」
「彼氏いたんじゃなかったっけ? 別れたの?」
梨緒子の普段の行動に、男の影がまったく見えないため、彼氏がいることを知らない友人も多い。
知っていても、その実物を拝めた者はいまだ一人もいない状態である。
そのため、クリスマスの予定がないということを聞き、野乃香はためらいもなく『破局』を断定してみせている。
梨緒子は、野乃香を前にして、大きくため息をついた。
「別れてはないけど、遠距離してるから。当分会う予定ないし」
期待していた分、その落胆はとてつもなく大きい。
もちろん、予定は未定であることくらい、梨緒子にも分かっている。
秀平だって、帰省して梨緒子と一緒に過ごすことに前向きであったのだろうし、ここで拗ねて怒るのは、決して得策ではない。
だからこそ、抱えてしまった気持ちの行き場を、梨緒子は失くしてしまっているのである。
そんな梨緒子の複雑な気持ちなどお構いなしに、野乃香は意気揚揚とした晴れやかな表情で、梨緒子の両肩をしっかりと掴んだ。
「んじゃ、忘年会やろ! 二十三日の祝日に」
「忘年会?」
友人の唐突の申し出に、梨緒子は思わず目を丸くした。
「四人くらいでこじんまりとさ、面子集めておくから」
「ああ、うん。分かった」
どの道、一人寂しい年末年始を迎えることになるのである。
なるべく友達の誘いを受け入れて、スケジュール帳を埋め尽くす勢いでいかないと、寂しさに負けてしまいそうだった。
淡々と時は流れ、短大は冬休みに入り、クリスマスは目前となった。
十二月二十三日――梨緒子は、野乃香に指定された店にやってきた。
冬至が過ぎたばかりで、辺りは既に真っ暗だ。
学生向けの洋食ダイニングである。この辺りは大学や短大もいくつかあり、客層もほぼ大学生だ。
時間は、午後五時少し前。
夕食を兼ねた飲み会にしては早い時間だが、祝日ということもあり、早めの時間設定となったようだ。
もっとも、梨緒子はまだ未成年のため、お酒を飲むつもりはない。
同級生たちの半分以上は、すでに誕生日を迎えて二十歳になっている。そのため、合法的に飲酒が認められている。
しかし梨緒子は、たまに勧められることがあっても、飲酒も喫煙もすることはない。彼氏の秀平が絶対に許さないのが目に見えているからである。
念のため、店の前でメールを入れると、野乃香は既に中で待っているようだった。
クリスマスのディスプレイが施された店内に梨緒子は足を踏み入れ、中を見渡すと、奥のテーブル席に座っていた野乃香が笑顔で手を振っているのが見えた。
梨緒子も手を挙げ、笑顔で返したのもつかの間――テーブルに近づいていくと、徐々に違和感を覚え始めた。
野乃香の向かい側に座っているのは、どう見ても男の背中である。
同じ看護学科に籍を置く、数少ない男子のそれではない。
「もう一人さ、十分くらい遅れるって言ってた。先に始めてよう」
梨緒子はコートを脱ぎながら、向かい側の見知らぬ男に聞こえないよう声をひそめ、野乃香の耳元で囁くようにして尋ねた。
「野乃香ちゃん、どういうこと?」
「どういうって?」
「私てっきり、ウチの学科の女の子たちとだとばっかり……」
「そんなのツマンナイじゃん」
あくまでさらりと言ってのける野乃香の説明を聞き、梨緒子は誘われたときの記憶を引っ張り出した。
【んじゃ、忘年会やろ! 二十三日の祝日に】
【四人くらいでこじんまりとさ、面子集めておくから】
確かに、「女の子だけで」とも、「同じ学科の仲間有志で」とも、野乃香は言っていなかった。
まさか、こんなことになろうとは――詳しい話も聞かず、簡単に誘いに乗ってしまったことを、梨緒子はいまさらながらに後悔した。
これが野乃香ではなく親友の美月であれば、間違ってもこのような企画をセッティングすることはない。
いくら遠距離で黙っていればバレないとはいえ、秀平の嫌がることを梨緒子がしたくないと思っていることは、美月はちゃんと理解してくれている。
しかし、短大の友人は、大して深く考えてはいないらしい。
「こいつね、高校の時の同じ部活の仲間で、歌川洋輔」
「初めまして。ゴメンね、ツレが遅くて。今こっちに向かってるから、もう少しだけ待ってて」
落ち着いた話しぶりから、頭が良さげな風が感じ取れる。
遊び慣れていそうな軽いノリの男ではなさそうなのが、まだ救いだと梨緒子は思った。
「もう一人は、ちゃんと洋輔よりもいい男なんでしょうねぇ?」
「彼女なしの条件の中では、かなりいけてるほうだと思うけど」
これからくるもう一人の『男』は、野乃香も知らない人物らしい。
そして、なぜ野乃香が面子集めに条件をつけたのか、その理由が梨緒子にはいまいち飲み込めていなかった。
「名前なんていうの?」
「あ……えっと、江波梨緒子です」
「彼氏ホントにいないの? もったいなさ過ぎるんだけど」
――彼氏が、いない??
梨緒子が言葉の真意を確かめる間もなく、男の携帯が鳴り出した。
「あ、今どこ? 俺たちもう店の中にいるから――」
彼は向きを変えて椅子に横座りになると、おもむろに電話で話し始める。
梨緒子はあわてて主催の女友達に詰め寄った。
何が何だか、サッパリ訳が分からない。
「の、野乃香ちゃんっ! どうなってるの!?」
「あ、ゴメン。そういうことにしておいたほうが、盛り上がると思って。合コンなんて、そんなもんでしょ?」
野乃香は悪びれずにそう言い切った。
「そんな……」
合コン。
彼女がいない男たちと、合コン。
クリスマスに一緒に過ごせる相手が欲しいもの同士の、合コン――。
「心配しなくても大丈夫だって。私は洋輔と友達なんだし、まったくの知らない者同士の合コンじゃないんだからさ」
知っている知っていないの問題ではないのである。
いくら一人寂しい年末年始だからといって、彼氏がいないと嘘までついて合コンに参加するなんて、とても秀平に申し訳がたつ行為ではない。
しかし。
ここで場の空気を読まず、彼氏がいるから帰るというのは、セッティングした野乃香の立場をなくしてしまいかねない。
梨緒子はもはや絶望的な気分で、目の前に座る見知らぬ男とその隣の空いた席を、ただおぼろげに見つめるばかりだった。
困った。
完全に、困ってしまった。
電話を終えた『洋輔』という男が、シャツの胸ポケットに携帯をしまいこみ、再び野乃香と梨緒子のほうへと向き直った。
「いま来るって。陽気な男だから、そう構えなくてもいいよ」
多少不安なところもあったのだろう、洋輔は『もう一人の男』からの連絡に、どこかホッとしたような笑顔を見せている。
程なくして、その『もう一人の男』がやってきた。
「洋輔、悪い。遅くなった」
ようやく現れた男の姿を見て、梨緒子は唖然となった。
――う…………嘘。
「ちょっと江波ちゃん、想像以上にカッコよくない? ラッキーじゃん!」
野乃香は興奮気味に梨緒子の腕をつつき、そう耳打ちしてくる。
クリスマスの聖夜を目前にして、一足早く奇跡が起きた。
梨緒子の目の前に、救いの神が現れたのである。
しかし。
それはすぐに間違いであったことを、梨緒子は思い知らされることとなる。
梨緒子が『考えておく』と言ったのをそのまま受け取って、こちらから言い出すのを待っているに違いない。
大学での勉強やアルバイトなど、秀平は多忙な日々を過ごしているため、何度もご機嫌うかがいの電話を掛けてくる余裕はないのだろう。
下手すれば、日課となっている晩御飯の写メールが、夜に一回送られてくるきりである。
そのメールには、相変わらずタイトルも本文もない。
寂しい。
寂しい。
――寂しくなんかない、もん。ただプレゼント送ってこられたって、嬉しくないし。
あくまで前向きにとらえ、自分を慰めてみる。
しかし、それは寂しさを認めたくないという梨緒子の強がりでしかない。
――また行こうかな……札幌まで。
言うだけなら簡単だが、金銭事情はあまり芳しくない。
冬休みに秀平が帰省してくると信じきっていたため、梨緒子はお金をほとんど貯めていなかった。
彼へのプレゼントと旅費を両方捻出するとなると、授業の合間をみて、短期のアルバイトを探さなくてはならないだろう。
実際問題、難しいと言わざるをえないのである。
梨緒子はやり切れない思いを胸に抱え、すべてをあきらめたように大きなため息を何度もついた。
それから二週間ほど過ぎた、ある日の午後のことだった。
講義が終わると、同じ看護学科の沢口野乃香が、梨緒子の元へとやってきた。
親友というほどではないが、一緒にご飯やお茶したりする気の合う友人の一人である。野乃香は大人びた雰囲気のある、なかなかの美少女だ。
「江波ちゃん、クリスマスの予定は?」
「特にないけど」
「彼氏いたんじゃなかったっけ? 別れたの?」
梨緒子の普段の行動に、男の影がまったく見えないため、彼氏がいることを知らない友人も多い。
知っていても、その実物を拝めた者はいまだ一人もいない状態である。
そのため、クリスマスの予定がないということを聞き、野乃香はためらいもなく『破局』を断定してみせている。
梨緒子は、野乃香を前にして、大きくため息をついた。
「別れてはないけど、遠距離してるから。当分会う予定ないし」
期待していた分、その落胆はとてつもなく大きい。
もちろん、予定は未定であることくらい、梨緒子にも分かっている。
秀平だって、帰省して梨緒子と一緒に過ごすことに前向きであったのだろうし、ここで拗ねて怒るのは、決して得策ではない。
だからこそ、抱えてしまった気持ちの行き場を、梨緒子は失くしてしまっているのである。
そんな梨緒子の複雑な気持ちなどお構いなしに、野乃香は意気揚揚とした晴れやかな表情で、梨緒子の両肩をしっかりと掴んだ。
「んじゃ、忘年会やろ! 二十三日の祝日に」
「忘年会?」
友人の唐突の申し出に、梨緒子は思わず目を丸くした。
「四人くらいでこじんまりとさ、面子集めておくから」
「ああ、うん。分かった」
どの道、一人寂しい年末年始を迎えることになるのである。
なるべく友達の誘いを受け入れて、スケジュール帳を埋め尽くす勢いでいかないと、寂しさに負けてしまいそうだった。
淡々と時は流れ、短大は冬休みに入り、クリスマスは目前となった。
十二月二十三日――梨緒子は、野乃香に指定された店にやってきた。
冬至が過ぎたばかりで、辺りは既に真っ暗だ。
学生向けの洋食ダイニングである。この辺りは大学や短大もいくつかあり、客層もほぼ大学生だ。
時間は、午後五時少し前。
夕食を兼ねた飲み会にしては早い時間だが、祝日ということもあり、早めの時間設定となったようだ。
もっとも、梨緒子はまだ未成年のため、お酒を飲むつもりはない。
同級生たちの半分以上は、すでに誕生日を迎えて二十歳になっている。そのため、合法的に飲酒が認められている。
しかし梨緒子は、たまに勧められることがあっても、飲酒も喫煙もすることはない。彼氏の秀平が絶対に許さないのが目に見えているからである。
念のため、店の前でメールを入れると、野乃香は既に中で待っているようだった。
クリスマスのディスプレイが施された店内に梨緒子は足を踏み入れ、中を見渡すと、奥のテーブル席に座っていた野乃香が笑顔で手を振っているのが見えた。
梨緒子も手を挙げ、笑顔で返したのもつかの間――テーブルに近づいていくと、徐々に違和感を覚え始めた。
野乃香の向かい側に座っているのは、どう見ても男の背中である。
同じ看護学科に籍を置く、数少ない男子のそれではない。
「もう一人さ、十分くらい遅れるって言ってた。先に始めてよう」
梨緒子はコートを脱ぎながら、向かい側の見知らぬ男に聞こえないよう声をひそめ、野乃香の耳元で囁くようにして尋ねた。
「野乃香ちゃん、どういうこと?」
「どういうって?」
「私てっきり、ウチの学科の女の子たちとだとばっかり……」
「そんなのツマンナイじゃん」
あくまでさらりと言ってのける野乃香の説明を聞き、梨緒子は誘われたときの記憶を引っ張り出した。
【んじゃ、忘年会やろ! 二十三日の祝日に】
【四人くらいでこじんまりとさ、面子集めておくから】
確かに、「女の子だけで」とも、「同じ学科の仲間有志で」とも、野乃香は言っていなかった。
まさか、こんなことになろうとは――詳しい話も聞かず、簡単に誘いに乗ってしまったことを、梨緒子はいまさらながらに後悔した。
これが野乃香ではなく親友の美月であれば、間違ってもこのような企画をセッティングすることはない。
いくら遠距離で黙っていればバレないとはいえ、秀平の嫌がることを梨緒子がしたくないと思っていることは、美月はちゃんと理解してくれている。
しかし、短大の友人は、大して深く考えてはいないらしい。
「こいつね、高校の時の同じ部活の仲間で、歌川洋輔」
「初めまして。ゴメンね、ツレが遅くて。今こっちに向かってるから、もう少しだけ待ってて」
落ち着いた話しぶりから、頭が良さげな風が感じ取れる。
遊び慣れていそうな軽いノリの男ではなさそうなのが、まだ救いだと梨緒子は思った。
「もう一人は、ちゃんと洋輔よりもいい男なんでしょうねぇ?」
「彼女なしの条件の中では、かなりいけてるほうだと思うけど」
これからくるもう一人の『男』は、野乃香も知らない人物らしい。
そして、なぜ野乃香が面子集めに条件をつけたのか、その理由が梨緒子にはいまいち飲み込めていなかった。
「名前なんていうの?」
「あ……えっと、江波梨緒子です」
「彼氏ホントにいないの? もったいなさ過ぎるんだけど」
――彼氏が、いない??
梨緒子が言葉の真意を確かめる間もなく、男の携帯が鳴り出した。
「あ、今どこ? 俺たちもう店の中にいるから――」
彼は向きを変えて椅子に横座りになると、おもむろに電話で話し始める。
梨緒子はあわてて主催の女友達に詰め寄った。
何が何だか、サッパリ訳が分からない。
「の、野乃香ちゃんっ! どうなってるの!?」
「あ、ゴメン。そういうことにしておいたほうが、盛り上がると思って。合コンなんて、そんなもんでしょ?」
野乃香は悪びれずにそう言い切った。
「そんな……」
合コン。
彼女がいない男たちと、合コン。
クリスマスに一緒に過ごせる相手が欲しいもの同士の、合コン――。
「心配しなくても大丈夫だって。私は洋輔と友達なんだし、まったくの知らない者同士の合コンじゃないんだからさ」
知っている知っていないの問題ではないのである。
いくら一人寂しい年末年始だからといって、彼氏がいないと嘘までついて合コンに参加するなんて、とても秀平に申し訳がたつ行為ではない。
しかし。
ここで場の空気を読まず、彼氏がいるから帰るというのは、セッティングした野乃香の立場をなくしてしまいかねない。
梨緒子はもはや絶望的な気分で、目の前に座る見知らぬ男とその隣の空いた席を、ただおぼろげに見つめるばかりだった。
困った。
完全に、困ってしまった。
電話を終えた『洋輔』という男が、シャツの胸ポケットに携帯をしまいこみ、再び野乃香と梨緒子のほうへと向き直った。
「いま来るって。陽気な男だから、そう構えなくてもいいよ」
多少不安なところもあったのだろう、洋輔は『もう一人の男』からの連絡に、どこかホッとしたような笑顔を見せている。
程なくして、その『もう一人の男』がやってきた。
「洋輔、悪い。遅くなった」
ようやく現れた男の姿を見て、梨緒子は唖然となった。
――う…………嘘。
「ちょっと江波ちゃん、想像以上にカッコよくない? ラッキーじゃん!」
野乃香は興奮気味に梨緒子の腕をつつき、そう耳打ちしてくる。
クリスマスの聖夜を目前にして、一足早く奇跡が起きた。
梨緒子の目の前に、救いの神が現れたのである。
しかし。
それはすぐに間違いであったことを、梨緒子は思い知らされることとなる。