Lesson 5 恋初めし君と (3)
時は過ぎ、翌週末――。
無事成人式を終えたその日の夕方、梨緒子と美月は連れ立って、クラス会の会場へとやってきた。
クラス会の案内状に記されている場所は、駅近くのシティホテルにテナントとして入っている、お洒落なイタリアンレストランである。
結婚式の二次会などで利用されることも多いらしい。
本日貸切という注意書きの立て札が、入り口の前に置かれている。
店内に入ると、受付に幹事を務める同級生の女子がいた。
梨緒子や美月同様、地元に残り進学した人間である。彼女とは久しぶりというほどの感覚ではない。そのため、挨拶もそこそこに手際よく会費を支払い、出席者名簿に記載されている自分たちの名前に丸をつけていく。
店内は暖房がきいている。
梨緒子は受付でコートのほかに羽織っていた上着も脱ぎ、一緒に預かってもらった。
クラス会は自由に話ができるよう、立食ビュッフェ形式となっていた。
会場の片側に、オードブルやパスタ、パエリアなどの大皿が載った料理卓が並んでいる。飲み物はバーカウンターで注文し受け取るというスタイルだ。
立食用の高さのあるテーブルのほか、ゆっくりと座って食べることのできる通常のテーブルも、奥の壁際に用意されている。
梨緒子と美月は一通り店内を見回し、懐かしい顔ぶれを確認すると、まずは飲み物を確保するべく、バーカウンターへと向かった。
二人揃ってウーロン茶を注文し、それらが出てくるまでしばし待つ。
「やっと身軽になったよねー。もう着物は当分いいって感じ」
「えー、もったいない。美月ちゃん、結構似合ってたけどな」
美月は黒のワンピース姿だ。襟元には手触りがよさそうなファーがあしらわれている。
振袖を着付けした美容院で、髪型を洋装用にセットし直してもらったらしい。そのためか、今夜の美月はいつも以上に大人っぽい。
それはもちろん、彼女の乙女心のなせる業だ。
その点、梨緒子はまったく気合が入っていない。おめかしして見せたい相手は、ここにはいないのだから、仕方のないことである。
久しぶりに会う同級生たちのために、いつもよりもバックやブーツなどの小物に、いくらか気を遣ったくらいだ。
「梨緒ちゃんだって、すごく可愛かったし。あーあ、永瀬くんに見せてあげたかったなー。それ見るためだけでも帰ってくる価値あるのにね。だって、もう半年も会ってないんでしょ?」
「え? あ、うん……」
梨緒子は言葉を濁した。
そう――秀平とは、夏に美瑛の別荘へ旅行したとき以来、会っていない事になっている。
「まあ、あとで写メ送るつもり。秀平くんからリクエストしてきたの」
「へー、永瀬くんも今じゃ、しっかりと梨緒ちゃんにはまってるんだね。結構ラブラブしてるじゃない?」
「ラブラブかどうかは分かんないけど。とりあえず気にかけて、興味は示してくれてるみたい。相変わらず、分かり難いんだけどね」
ようやく二人の前に注文したウーロン茶のグラスが差し出された。
それを持って、移動しようとしたとき――。
「お、やっと来た」
声のほうを振り返ると、安藤類が二人の姿を見つけてにこやかに手を振っているのが見えた。
【安藤に、絶対近づかないこと】
そうきつく秀平に言われたことを、梨緒子はぼんやりと思い出した。
しかし。
無視して避けるのも、不自然すぎる。
――近づくなって言われたって、無理。
梨緒子は一寸身構えたが、とりあえず美月が一緒なので下手な反応はできない。
そんな梨緒子の葛藤を知る由もなく、類は颯爽と近づいてくる。
「永瀬は来ないのか?」
唐突に尋ねられ、梨緒子は途惑ってしまう。
何故だろう――とても居心地の悪い組み合わせだ。
梨緒子は怖々と口を開いた。
「あー、えっと……帰る予定はないって」
「だよな。さすがに二回も帰ってこないよなー」
類は事も無げに、あっさりと相槌を打った。
――マ、マズい。
梨緒子はごくりとつばを飲み込んだ。
そして、嫌な予感は的中してしまう。
「なに、二回って?」
美月は訝しげな眼差しを類に向けている。
梨緒子の心拍数は、どんどん上がっていく。梨緒子は美月に悟られぬよう、素早く類に目配せをした。
すると。
「いや――別になんでも。ああ美月、向こうのテーブルから俺のグラスと皿と箸、持ってきて」
「ええ? 自分で取りに行けば」
美月はいつものように類をあしらっている。それは美月なりの愛情表現であり、駆け引きなのであるが――。
もちろんそれは、類自身も承知しているはずだ。
幼馴染の二人は、一筋縄ではいかない、なんとも不思議な関係なのである。
そして、それを逆手に取る類の態度は、どこまでも自然だ。梨緒子とは違い、落ち着いている。
「美月ー、お願い。あとで家まで送ってってやるから」
「送ってやるも何も、同じ方向でしょうが……まったくもう」
渋々ながらも頼みを聞き入れる美月に、類はありったけの笑顔を向けた。
美月が背中を向けると、類はその表情を硬化させた。
必要以上に身体を寄せ、素早く梨緒子に耳打ちをする。
「リオお前、あの日のこと、美月に話してねーのかよ?」
「話せるわけないでしょ?」
「別に、永瀬が帰ってきたところだけでも言えばいいじゃん」
「それはそうだけど……でも、なんか喋る気になれなくて」
確かに類の言う通りだった。
秀平があの日、たった数十分の時間をともに過ごすために――結局類とのキス事故に至り、秀平とは十分ほどの時間しかなかったが――わざわざ梨緒子に逢うために帰ってきてくれたことを、普通なら美月に嬉々として話しているはずなのである。
しかし、いつどうやって、どんなふうにと、根掘り葉掘り聞かれると、辻褄を合わせるのにどうしてもぼろが出てしまいそうで、言い出せずじまいになってしまったのである。
知らなかったとはいえ、偶然類と合コンの席で居合わせ、そのあと二人で――なんて、絶対に言えない。
梨緒子は類の横で、大きくため息をつく。
二人だけの秘密を共有できた喜びなのか――類は肩をすくめて苦笑いをしてみせた。
そこへ、グラスと皿を手にした美月が戻ってきた。
近くの立食用テーブルにそれらを叩き付けるようにして置くと、必要以上に梨緒子にくっつく類を一喝した。
「ちょっと類! 必要以上に梨緒ちゃんに近づかないの! 永瀬くんに呪い殺されてもいいの?」
「いいだろ別に。ただのお友達として楽しく喋るくらい」
類はふざけるようにして梨緒子の肩に手を回し、おもむろに引き寄せた。
お酒が入って、気が大きくなっているようだ。
「もう、止めてよ類くん!」
梨緒子が身をよじり逃れようとするのを、美月は手助けした。
「いいから、グラス持って向こう行って。前田くんたち、類のこと捜してたよ」
「へいへい。じゃ、また来るわー」
類は素直に聞き入れ、ビールの入った自分のグラスを持ってその場を離れていった。
「もう……油断も隙もないんだから。永瀬くんがいないからって羽目外しすぎじゃない?」
やり場のない美月の愚痴を、梨緒子はとりあえず笑って誤魔化した。
ふと気付くと――。
梨緒子と美月の後ろに、いつの間にか女子四人のグループがいた。
いまの類と美月のやり取りを聞きつけたらしい。挨拶もそこそこに、話しかけてくる。
「ねえちょっと……江波さんって、永瀬くんとつきあってたの!?」
「うそ、佐藤さん知らなかったの? あの頃、結構噂になってたよね」
「卒業してからもずっと続いてるの?」
「だって、そしたら遠距離なんでしょ? 大丈夫なの?」
「じゃあ、ちょくちょく会ったりしてるの?」
梨緒子は突然の質問攻勢に動揺した。返事をしようにも、まるで言葉が出てこない。
見かねた美月が、すかさず救いの手を差し伸べてくる。
「みんな、いいじゃない! そんな、芸能リポーターじゃないんだから」
「だって、あの永瀬秀平だよ? 聞いてみたいじゃん!」
しかし、同級生たちの好奇の眼差しは、収束する気配をみせない。
場の雰囲気を壊すわけにもいかない。梨緒子は心を落ち着かせ、当たり障りのない程度の説明をすることにした。
「えっと……そんなしょっちゅうは会ってない。卒業してからは三、四回とか。メールとか電話とかはちょこちょこしてるけど」
「いいなあ。あの永瀬秀平が彼氏って、相当自慢じゃん?」
「三、四回会ったって、それ、江波さんのほうから札幌行ったりとかもあるの?」
「あ、うん」
梨緒子が肯定すると、女子のグループの固まりから、悲鳴にも似た歓声が漏れる。
「それって当然、泊まりだよね?」
「いや、あの、別に、そんな……」
どんどん質問がエスカレートしてくる。
短大の友人たちに話すような普通の恋愛話ならいいのだが、ここはクラス会だ。当然、彼のこともよく知る面々である。
下手にさらけ出してしまうわけにはいかない。
その時である。
会場の一角がどよめきたった。入り口付近に固まっていた男子のグループからである。
たったいま遅れて到着したらしい一人の人物に、大きな歓声が沸く。
「おお、永瀬じゃん。久しぶりーっ!」
――な、がせ? 永瀬って言った? いま?
梨緒子は思わず美月と顔を見合わせ、声のするほうを二度、振り返った。
うそ。うそ。うそ。
なにやってるの。
「すごい! 噂の彼のご登場じゃん!」
女子グループの一人が、興奮気味にはやし立てた。
梨緒子は、目の前の光景が信じられなかった。
もう、何が何だか訳が分からない。完全に混乱している。
「永瀬、そんなところにつったってないで、こっちへこいよ」
「なあ永瀬、どうよ札幌暮らしは?」
秀平はさっそく男子たちに囲まれてしまった。秀平が集まりの輪に入ることは珍しい。そのため皆一様に歓迎の姿勢だ。
女子たちのグループは遠巻きに見つめ、高校時代よりもひときわ大人びた王子様の登場を、もてはやしている。
さらにその後ろで、梨緒子と美月は色めき立つ会場の雰囲気に包まれて、それを他人事のように眺めるばかりだ。
「梨緒ちゃん、聞いてなかったの?」
「うん。いつもいつも、ホントにもう……」
「ひょっとして初夢、当たったんじゃない?」
「えっ……ま、ま、まさか。違うでしょ」
こちらから声を掛ける雰囲気ではない。
梨緒子は高鳴る胸を落ち着けるため、会場の隅に潜んで、ひたすらウーロン茶のグラスを傾けた。
秀平はこちらに気づいているのかいないのか――いまだ男子グループの人垣に取り囲まれている。
どうしよう。
どうしたらいいのだろう。
「いいの、行かなくて」
「この状況で、どうやって? 秀平くん、騒がれるの好きじゃないと思うし、あんまり目立つようなことはちょっと……」
「だって、梨緒ちゃんに逢いたいからここまで来たんでしょ?」
逢いたい――そのひと言では、きっと済ませられない。
クラス会には行く必要がないと言っていた彼が。
梨緒子がクラス会に出ることを、条件付で渋々了承した彼が。
じっと身を硬くしていると、背後から突然肩を叩かれた。
梨緒子が振り返ると、そこに立っていたのは紛れもない、正真正銘の永瀬秀平その人だった。
いつの間にか、男子グループの輪から外れてきたらしい。
美月は気を利かせたのか、その場から三歩ほど離れた。
いつもながら、挨拶もなく唐突に彼は喋りだす。
「梨緒子、上着は?」
「あ、秀平くん! どうしたの突然――」
「いいから、上着は?」
「……ここ暖房ききすぎだから、受付に預かってもらってるけど?」
「少しくらい暑いのは我慢して。肌、出しすぎ」
大好きな彼が、すぐ側にいる。
ゆっくりと物憂げに、彼の瞳が瞬いている。
梨緒子は秀平の真剣な眼差しに、思わず釘付けになった。
「すぐにここ抜けるから、用意しておいて」
秀平は梨緒子の耳元に口を寄せ、素早くひと言だけ囁いた。
ふと、気付くと――。
しっかりと、周囲の注目を浴びてしまっている。
しかし、先程二人の関係の話題が出ていたため、悪戯に騒ぎ立てる級友たちはいなかった。
それにしても。
――何なの……いったい。
謎だらけの秀平の行動に、梨緒子の不安はいっそう募った。
無事成人式を終えたその日の夕方、梨緒子と美月は連れ立って、クラス会の会場へとやってきた。
クラス会の案内状に記されている場所は、駅近くのシティホテルにテナントとして入っている、お洒落なイタリアンレストランである。
結婚式の二次会などで利用されることも多いらしい。
本日貸切という注意書きの立て札が、入り口の前に置かれている。
店内に入ると、受付に幹事を務める同級生の女子がいた。
梨緒子や美月同様、地元に残り進学した人間である。彼女とは久しぶりというほどの感覚ではない。そのため、挨拶もそこそこに手際よく会費を支払い、出席者名簿に記載されている自分たちの名前に丸をつけていく。
店内は暖房がきいている。
梨緒子は受付でコートのほかに羽織っていた上着も脱ぎ、一緒に預かってもらった。
クラス会は自由に話ができるよう、立食ビュッフェ形式となっていた。
会場の片側に、オードブルやパスタ、パエリアなどの大皿が載った料理卓が並んでいる。飲み物はバーカウンターで注文し受け取るというスタイルだ。
立食用の高さのあるテーブルのほか、ゆっくりと座って食べることのできる通常のテーブルも、奥の壁際に用意されている。
梨緒子と美月は一通り店内を見回し、懐かしい顔ぶれを確認すると、まずは飲み物を確保するべく、バーカウンターへと向かった。
二人揃ってウーロン茶を注文し、それらが出てくるまでしばし待つ。
「やっと身軽になったよねー。もう着物は当分いいって感じ」
「えー、もったいない。美月ちゃん、結構似合ってたけどな」
美月は黒のワンピース姿だ。襟元には手触りがよさそうなファーがあしらわれている。
振袖を着付けした美容院で、髪型を洋装用にセットし直してもらったらしい。そのためか、今夜の美月はいつも以上に大人っぽい。
それはもちろん、彼女の乙女心のなせる業だ。
その点、梨緒子はまったく気合が入っていない。おめかしして見せたい相手は、ここにはいないのだから、仕方のないことである。
久しぶりに会う同級生たちのために、いつもよりもバックやブーツなどの小物に、いくらか気を遣ったくらいだ。
「梨緒ちゃんだって、すごく可愛かったし。あーあ、永瀬くんに見せてあげたかったなー。それ見るためだけでも帰ってくる価値あるのにね。だって、もう半年も会ってないんでしょ?」
「え? あ、うん……」
梨緒子は言葉を濁した。
そう――秀平とは、夏に美瑛の別荘へ旅行したとき以来、会っていない事になっている。
「まあ、あとで写メ送るつもり。秀平くんからリクエストしてきたの」
「へー、永瀬くんも今じゃ、しっかりと梨緒ちゃんにはまってるんだね。結構ラブラブしてるじゃない?」
「ラブラブかどうかは分かんないけど。とりあえず気にかけて、興味は示してくれてるみたい。相変わらず、分かり難いんだけどね」
ようやく二人の前に注文したウーロン茶のグラスが差し出された。
それを持って、移動しようとしたとき――。
「お、やっと来た」
声のほうを振り返ると、安藤類が二人の姿を見つけてにこやかに手を振っているのが見えた。
【安藤に、絶対近づかないこと】
そうきつく秀平に言われたことを、梨緒子はぼんやりと思い出した。
しかし。
無視して避けるのも、不自然すぎる。
――近づくなって言われたって、無理。
梨緒子は一寸身構えたが、とりあえず美月が一緒なので下手な反応はできない。
そんな梨緒子の葛藤を知る由もなく、類は颯爽と近づいてくる。
「永瀬は来ないのか?」
唐突に尋ねられ、梨緒子は途惑ってしまう。
何故だろう――とても居心地の悪い組み合わせだ。
梨緒子は怖々と口を開いた。
「あー、えっと……帰る予定はないって」
「だよな。さすがに二回も帰ってこないよなー」
類は事も無げに、あっさりと相槌を打った。
――マ、マズい。
梨緒子はごくりとつばを飲み込んだ。
そして、嫌な予感は的中してしまう。
「なに、二回って?」
美月は訝しげな眼差しを類に向けている。
梨緒子の心拍数は、どんどん上がっていく。梨緒子は美月に悟られぬよう、素早く類に目配せをした。
すると。
「いや――別になんでも。ああ美月、向こうのテーブルから俺のグラスと皿と箸、持ってきて」
「ええ? 自分で取りに行けば」
美月はいつものように類をあしらっている。それは美月なりの愛情表現であり、駆け引きなのであるが――。
もちろんそれは、類自身も承知しているはずだ。
幼馴染の二人は、一筋縄ではいかない、なんとも不思議な関係なのである。
そして、それを逆手に取る類の態度は、どこまでも自然だ。梨緒子とは違い、落ち着いている。
「美月ー、お願い。あとで家まで送ってってやるから」
「送ってやるも何も、同じ方向でしょうが……まったくもう」
渋々ながらも頼みを聞き入れる美月に、類はありったけの笑顔を向けた。
美月が背中を向けると、類はその表情を硬化させた。
必要以上に身体を寄せ、素早く梨緒子に耳打ちをする。
「リオお前、あの日のこと、美月に話してねーのかよ?」
「話せるわけないでしょ?」
「別に、永瀬が帰ってきたところだけでも言えばいいじゃん」
「それはそうだけど……でも、なんか喋る気になれなくて」
確かに類の言う通りだった。
秀平があの日、たった数十分の時間をともに過ごすために――結局類とのキス事故に至り、秀平とは十分ほどの時間しかなかったが――わざわざ梨緒子に逢うために帰ってきてくれたことを、普通なら美月に嬉々として話しているはずなのである。
しかし、いつどうやって、どんなふうにと、根掘り葉掘り聞かれると、辻褄を合わせるのにどうしてもぼろが出てしまいそうで、言い出せずじまいになってしまったのである。
知らなかったとはいえ、偶然類と合コンの席で居合わせ、そのあと二人で――なんて、絶対に言えない。
梨緒子は類の横で、大きくため息をつく。
二人だけの秘密を共有できた喜びなのか――類は肩をすくめて苦笑いをしてみせた。
そこへ、グラスと皿を手にした美月が戻ってきた。
近くの立食用テーブルにそれらを叩き付けるようにして置くと、必要以上に梨緒子にくっつく類を一喝した。
「ちょっと類! 必要以上に梨緒ちゃんに近づかないの! 永瀬くんに呪い殺されてもいいの?」
「いいだろ別に。ただのお友達として楽しく喋るくらい」
類はふざけるようにして梨緒子の肩に手を回し、おもむろに引き寄せた。
お酒が入って、気が大きくなっているようだ。
「もう、止めてよ類くん!」
梨緒子が身をよじり逃れようとするのを、美月は手助けした。
「いいから、グラス持って向こう行って。前田くんたち、類のこと捜してたよ」
「へいへい。じゃ、また来るわー」
類は素直に聞き入れ、ビールの入った自分のグラスを持ってその場を離れていった。
「もう……油断も隙もないんだから。永瀬くんがいないからって羽目外しすぎじゃない?」
やり場のない美月の愚痴を、梨緒子はとりあえず笑って誤魔化した。
ふと気付くと――。
梨緒子と美月の後ろに、いつの間にか女子四人のグループがいた。
いまの類と美月のやり取りを聞きつけたらしい。挨拶もそこそこに、話しかけてくる。
「ねえちょっと……江波さんって、永瀬くんとつきあってたの!?」
「うそ、佐藤さん知らなかったの? あの頃、結構噂になってたよね」
「卒業してからもずっと続いてるの?」
「だって、そしたら遠距離なんでしょ? 大丈夫なの?」
「じゃあ、ちょくちょく会ったりしてるの?」
梨緒子は突然の質問攻勢に動揺した。返事をしようにも、まるで言葉が出てこない。
見かねた美月が、すかさず救いの手を差し伸べてくる。
「みんな、いいじゃない! そんな、芸能リポーターじゃないんだから」
「だって、あの永瀬秀平だよ? 聞いてみたいじゃん!」
しかし、同級生たちの好奇の眼差しは、収束する気配をみせない。
場の雰囲気を壊すわけにもいかない。梨緒子は心を落ち着かせ、当たり障りのない程度の説明をすることにした。
「えっと……そんなしょっちゅうは会ってない。卒業してからは三、四回とか。メールとか電話とかはちょこちょこしてるけど」
「いいなあ。あの永瀬秀平が彼氏って、相当自慢じゃん?」
「三、四回会ったって、それ、江波さんのほうから札幌行ったりとかもあるの?」
「あ、うん」
梨緒子が肯定すると、女子のグループの固まりから、悲鳴にも似た歓声が漏れる。
「それって当然、泊まりだよね?」
「いや、あの、別に、そんな……」
どんどん質問がエスカレートしてくる。
短大の友人たちに話すような普通の恋愛話ならいいのだが、ここはクラス会だ。当然、彼のこともよく知る面々である。
下手にさらけ出してしまうわけにはいかない。
その時である。
会場の一角がどよめきたった。入り口付近に固まっていた男子のグループからである。
たったいま遅れて到着したらしい一人の人物に、大きな歓声が沸く。
「おお、永瀬じゃん。久しぶりーっ!」
――な、がせ? 永瀬って言った? いま?
梨緒子は思わず美月と顔を見合わせ、声のするほうを二度、振り返った。
うそ。うそ。うそ。
なにやってるの。
「すごい! 噂の彼のご登場じゃん!」
女子グループの一人が、興奮気味にはやし立てた。
梨緒子は、目の前の光景が信じられなかった。
もう、何が何だか訳が分からない。完全に混乱している。
「永瀬、そんなところにつったってないで、こっちへこいよ」
「なあ永瀬、どうよ札幌暮らしは?」
秀平はさっそく男子たちに囲まれてしまった。秀平が集まりの輪に入ることは珍しい。そのため皆一様に歓迎の姿勢だ。
女子たちのグループは遠巻きに見つめ、高校時代よりもひときわ大人びた王子様の登場を、もてはやしている。
さらにその後ろで、梨緒子と美月は色めき立つ会場の雰囲気に包まれて、それを他人事のように眺めるばかりだ。
「梨緒ちゃん、聞いてなかったの?」
「うん。いつもいつも、ホントにもう……」
「ひょっとして初夢、当たったんじゃない?」
「えっ……ま、ま、まさか。違うでしょ」
こちらから声を掛ける雰囲気ではない。
梨緒子は高鳴る胸を落ち着けるため、会場の隅に潜んで、ひたすらウーロン茶のグラスを傾けた。
秀平はこちらに気づいているのかいないのか――いまだ男子グループの人垣に取り囲まれている。
どうしよう。
どうしたらいいのだろう。
「いいの、行かなくて」
「この状況で、どうやって? 秀平くん、騒がれるの好きじゃないと思うし、あんまり目立つようなことはちょっと……」
「だって、梨緒ちゃんに逢いたいからここまで来たんでしょ?」
逢いたい――そのひと言では、きっと済ませられない。
クラス会には行く必要がないと言っていた彼が。
梨緒子がクラス会に出ることを、条件付で渋々了承した彼が。
じっと身を硬くしていると、背後から突然肩を叩かれた。
梨緒子が振り返ると、そこに立っていたのは紛れもない、正真正銘の永瀬秀平その人だった。
いつの間にか、男子グループの輪から外れてきたらしい。
美月は気を利かせたのか、その場から三歩ほど離れた。
いつもながら、挨拶もなく唐突に彼は喋りだす。
「梨緒子、上着は?」
「あ、秀平くん! どうしたの突然――」
「いいから、上着は?」
「……ここ暖房ききすぎだから、受付に預かってもらってるけど?」
「少しくらい暑いのは我慢して。肌、出しすぎ」
大好きな彼が、すぐ側にいる。
ゆっくりと物憂げに、彼の瞳が瞬いている。
梨緒子は秀平の真剣な眼差しに、思わず釘付けになった。
「すぐにここ抜けるから、用意しておいて」
秀平は梨緒子の耳元に口を寄せ、素早くひと言だけ囁いた。
ふと、気付くと――。
しっかりと、周囲の注目を浴びてしまっている。
しかし、先程二人の関係の話題が出ていたため、悪戯に騒ぎ立てる級友たちはいなかった。
それにしても。
――何なの……いったい。
謎だらけの秀平の行動に、梨緒子の不安はいっそう募った。