宿命の章 (11)  その名を名乗れぬ理由

 新規団員の募集告知から入団試験のオーディションまでは、ほとんど日数はなかった。
 それにもかかわらず、スポンサーとなった赤城エンタープライズという一流企業のブランド効果もあって、募集人数を上回る応募があった。
 その多くは、現在の楽団員たち同様、芹沢英輔が生前に教授として在職していた音楽大学の卒業生だ。
 しかし鷹山の要望で、学歴や経験などを問わずに条件を広くしたため、美濃部のような非音大出も何名かいた。
 会社員や主婦など、それらの応募者は多種多様だ。

 部屋の中央に置かれているテーブルの上には、履歴書と自己調査書をクリップで留めた応募者の書類が、無造作に積まれている。
 上等なスーツに身を包んだ大男は、それを上から何通か手にとり軽く経歴の欄に目を通すと、興味深そうに目を細め、感心したように言った。
「たいしたもんだな。アマチュア団体にも、プロ顔負けの技術を持った人間も、いるということなのだろうな」
 そんな大男の問いかけに、誰も応じようとはしない。
 それも無理のないことである。芹沢邸の二階の書斎は、朝から慌ただしい様相を呈していた。
 書斎は音楽監督である鷹山の居室である。アシスタントの華音以外は、自由な出入りを認められていない。
 来客や楽団員との打ち合わせには、一階にある応接室のいずれかを使用することになっているため、普段であれば間違ってもこの『大男』が二階をうろつくことはない――はずだった。
 しかし。
 この赤城という男は、スポンサーであるという立場を利用して、ときおりありえない時刻ありえない場所まで、平気で入り込んでくる。
 まるで我が家のように振る舞うその遠慮のないふてぶてしさは、赤城が成り上がりの野心家であることを如実に現している。
「よい人材が発掘できるといいですねえ――、オーナー?」
 爽やかな笑顔を見せているのは、コンサートマスターの美濃部青年だ。オーディションの審査員として、早朝から鷹山に呼ばれたらしい。
 美濃部は、センターテーブルで懸命に書類の整理をしている華音の作業を、ときおりうかがうようにして見ている。
 オーディションの告知や日時の設定、応募者への連絡など、華音はすべて美濃部の指示を受け、まるで操り人形のように動かされていた。
 実のところ、鷹山がいないところでは、引き継ぎ中と称して、美濃部が半分以上を作業してくれていたが、さすがにこの鷹山の居室では、あからさまに手伝うわけにもいかず、やきもきしているようだ。
 心配そうな顔で、「そうじゃなくて」とか「そっちが先」など、囁き声を出してくる。

 書斎の窓辺に背を向けるようにして置かれたエグゼクティブデスクに、鷹山は着席していた。
 しつらえのいい黒い革張りのチェアにふんぞり返るようにして座り、不機嫌そうに口をへの字に曲げている。
 もちろん原因は、ここにあった。
「赤城オーナー、立ち会うのは結構ですが、最終的決定権は僕に委ねてください」
 鷹山に鋭く言われると、赤城は微かに片眉を引きつらせた。
 もちろん、黙って引き下がるような謙虚な心など、持ち合わせているはずもない。
「人選に口を挟むつもりはないがね。君が入団希望者に失礼な態度をとらないか、それだけを案じているのだよ」
 真夏の室内が一気に氷点下へと様変わりする。
 鷹山はふん、とそのまま顔をそむけた。
「芹沢さん、希望者の正確な人数を教えてくれ」
 面接資料の準備に追われていた華音は、不機嫌な音楽監督のひと言に慌てふためいた。赤城が手にしていた書類も忘れずに奪い返す。
 しかし見るも無残。
 テーブルの上の書類はあちこちに飛散し、収拾がつかなくなっている。
 パート別に分け、さらにそれぞれ受付番号順に並べていくだけなのだが――。
「ええと……ま、待ってください。大まかなところですと、ヴァイオリンが五人に対して二十人、あと、ヴィオラは二人のところ四人、です。あとですね……」
 鷹山は露骨にうんざりとした顔をした。八つ当たり気味に、鋭く言い放つ。
「入団試験は今日なんだぞ? 正確な人数が把握できてない? どういうことなんだよ」
 勢いに押されて華音はたじろいだ。できない、分からないなどという理由は、鷹山には通用しない。
 返事をしようにも、上手く言葉が出てこない。
 その状況を見かねて、美濃部が助け舟を出した。
「今朝になって飛び入りで入団試験を受けさせて欲しいという人が、何人か来てるんです。そちらのほうの対応が、まだすんでいない――ようですね」
 手馴れたような美濃部の説明に対して、鷹山が何か言いかけた。しかしそれを遮るように、オーナーの赤城が憮然と言い放つ。
「三日前に締め切ったはずだろう。期日を守れないなら、その時点で受験資格はないと思うがね」
 嫌な沈黙が室内を包む。
 華音は鷹山の顔色をうかがった。
 美濃部が華音の仕事を手伝っていることに関して、何かを言ってくるかと構えたが――赤城に遮られ、その気をなくしたようだ。
 鷹山は物憂げにため息をつき、少し考え込んだあと、華音に指示を下した。
「試験の日程は変更しない。ちゃんと楽器を用意してきてるなら、最後に追加してやってくれ。先にヴァイオリン、その後ヴィオラを行うから、そのように調整してくれないか」
「分かりました。ではそのようにします」
 華音が素直に返事をすると、鷹山は満足そうに微笑み頷いてみせた。


 華音は、玄関を入ってすぐのところに折りたたみテーブルと椅子を置き、受付を作った。
 仕事はいたって単純だ。
 控室として設定された客間に、オーディション希望者を順次通していく。それだけである。
 すでにオーディション会場には、音楽監督の鷹山、コンサートマスターの美濃部、そして立会人のオーナー赤城の三人が待ち受けている。
 受付を設置してからすぐに、一人目の希望者がやってきた。
 そのあとも次から次へと、休む間もなく受付作業をしていたが、美濃部が参加者の集合時間を分散させてくれていたため、目立った混雑はなかった。
 二時間ほどかかってすべての参加者の受付が終わり、控室まで案内すると、華音はようやく一息入れることができた。
 あとは鷹山と美濃部が上手くやってくれるはずである。
 華音は受付を設置した場所とちょうど反対側にある雑談スペースへと移動し、身体を投げ出すようにしてソファに身を預けた。


 オーディション会場である音楽練習室から、立ち会っていたオーナーの赤城が出てきた。
 審査はまだ終わっていないはずだった。早々に退室してきたのは、鷹山の参加者に対する応対がまずまずだと判断したからに違いない。
 赤城は、廊下を歩いていた芹沢家の家政婦に二人分のアイスティーを所望し、そのまま華音のいる玄関脇の雑談スペースまでやってきた。
 赤城は断りもなく華音の向かい側のソファに腰かけ、狭そうにしながら気障ったらしく足を組み上げた。
「君もだいぶ慣れてきたようだな。あの鷹山君を上手く扱っているじゃないか」
「全然嬉しくないです」
 華音は姿勢を正し、ソファに浅く腰かけ直した。
 赤城とは知り合ってから日も浅いため、緊張感がいまだ拭いきれない。高野和久と同い年とはとても思えない――むしろ赤城のほうが年相応なのだが、落ち着き払った物腰と佇まいは、酸いも甘いも知り尽くした大人の男を感じさせる。
 しかしそれは、富士川祥とも高野和久とも違う。肉親の情愛などまるで関知しない。冷たくてどこか危険な香りのする、独特の魅惑を有する人間だ。

【富士川さんがいなくなったら、次はあの男か?】

 目の前に座って自分の顔を興味深げに眺めている大男の顔を、華音はおぼろげに見つめながら、以前鷹山に言われた言葉を思い出していた。

 ――祥ちゃんの代わり……だなんて。

 どうして皆一様に同じことを言うのだろうか。
 美濃部もそう。

【華音さん、私も頑張りますから――富士川さんほどいいアニキじゃないですけど】

 鷹山だって、そう。

【あの男じゃ、無理さ。しかし、僕にはそれができる】

 周りから言われれば言われるほど、やりきれない思いに苛まされる。
 しかし――少なくともこの赤城という男にとっては、華音はビジネス取引上の『コマ』にしか過ぎないはず、なのである。

 家政婦が、アイスティーの入ったグラスをトレイに二つ載せて、二人のもとへとやってきた。
 家政婦は会話の邪魔をしないように無言で給仕すると、静かにその場を去っていく。
 赤城はグラスを指し示し、冷たいものでもどうぞ、と勧めてきた。
 人の家で勝手に飲み物を頼んでおいて、「どうぞ」はないんじゃないか――華音は内心思ったが、確かに喉は渇いている。素直に頷き、ストローを手にとった。

 華音がアイスティーを一口飲むのを確認して、赤城はゆっくりと話し出した。
「君たちは和久を挟まないとろくに話もできないんじゃないかと思ったよ」
 赤城なりに心配をしていたらしい。鷹山と華音の本当の関係を知っている分、いろいろと思うところがあるのだろう。
「高野先生は、むしろ逆。私と鷹山さんが一緒のときは、極力一緒にいないようにしてるみたい。赤城さんのせいですよ」
「私の? ははは、手厳しいねえお嬢さん」
 赤城の表情が緩んだ。小娘の戯言が楽しくてしょうがないらしい。
 華音は子供扱いされることが悔しかったが、表情には出さずにそのまま話し続けた。
「高野先生は鷹山さんとも仲がいいみたいだから、私が思いがけず秘密を知っちゃったことで、私と鷹山さんをどう扱っていいのか分かんないんでしょ」
 赤城は相槌を打つように数度、頷いてみせた。そして、そこでようやくアイスティーのグラスを手にとると、豪快にあおるようにして一気に半分ほど飲んだ。氷がグラスとぶつかり、派手な音を発てる。
 グラスをコースターの上に戻し、赤城は渇きが潤され落ち着いたのか、ひとつ息をついた。

 しばしの間、無言状態が続いた。
 華音から話しかけようにも、特に共通の話題もない。ここに高野がいればもう少し和んだ雰囲気になるはずだが、そうそう上手くことは運ばない。
 沈黙を先に破ったのは、赤城だった。
「運命とは皮肉なものだな。実の兄妹であるはずなのに」
「兄だなんて思ったことありませんから」
 華音はつけ離すように言った。
「そう頑なに否定することもあるまい。芹沢英輔氏が亡くなった今となっては、彼が唯一の血縁者だ。しかも、極めて近い」
「だから困るんです」
「どうしてだい?」
 赤城が思いがけず聞き返してきたので、華音は途惑った。

 ――鷹山さんが実の兄だと困る理由、だなんて。

 華音は自分自身の考えを確かめるように、赤城に対して説明を試みる。
「鷹山さんは私が妹だって知ってて、でもそのことを私が知らないと思ってるんでしょ? だから知らないフリを通せって高野先生には言われてるけど、そんなの無理」
「私はそこが腑に落ちないんだが」
 赤城は腕を組み、ソファの背に身を深く預け直した。
「なぜ和久がそこまで隠そうとするのか、理解できないんだよ。どうして君に『知らないフリを通せ』などと言うのかな?」
「どうして……って?」
「要するに、鷹山君が芹沢家の血筋であることを誰にも知られたくないと思っているんだ。だから、私が君にその事実を告げたときに、和久は異様なほどにあせっていた。君を悪戯に動揺させたくなかったからだと理解したんだが、――どうやらそれは違ったようだ」
 赤城の説明を聞き、華音はいろいろと思い出した。
 初めてその事実を知らされたとき――赤城エンタープライズ本社ビルの最上階にある社長室で、取り乱していた高野の姿はいまだ記憶に新しい。
「その事実を君が知ってしまった今、そしてお互い普通に会話を交わせるほどの仲で、なぜ執拗に芹沢の血を隠す必要があるんだ? むしろ公表したほうが、芹沢英輔氏の正統な後継者として広く認知される。ずっと都合がいいはずだ」
「都合がいい? おじいちゃんと比べられるようになるだけじゃないの?」
「そういう考え方も、あるね」
 赤城は可笑しくなさそうに笑ってみせた。
「まあ、親の七光りじゃないが、芹沢のネームブランドを利用しないで勝負しようという鷹山君の姿勢は、高く評価したいね。彼のそんなところは、私は嫌いじゃない」
 成り上がりの青年実業家として名を馳せている赤城には、鷹山の中に何か通ずるものが感じられるようだ。
 しかし華音の中に、ある疑問が湧き上がっていた。
 鷹山が頑なにその名を名乗らぬ理由。師匠であり祖父である芹沢英輔に向けられる、異様なまでの反抗心――。
「赤城さん、聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「私のお父さんだった人って、おじいちゃんに勘当されて家を出たって言ってましたよね。何があったんですか?」
「どうしてそんなことを?」
「鷹山さんが、おじいちゃんとお父さんのことをちょっとだけ話してたから、ちょっと気になって」
 芹沢家の複雑な事情を知る高野が口をつぐんでいる以上、華音が求めている情報を持っているのは、目の前に座っているこの青年実業家だ。興信所の調査でどの程度まで知っているのかは不明だが、確実に華音が知らないことを知っている可能性が高い。

 ――自分の一人息子に、つまり君の父親に自分の音楽性を押しつけて、挙句に潰してしまったという罪さ。

 ――大罪だよ。

 鷹山の言葉が、脳裏をよぎっていく。
 いったい、何があったというのだろう。
 祖父と父親だった人の間にある確執のようなもの――そしてそれに対する、鷹山の並々ならぬ憎悪。

 赤城は一呼吸置き、華音の表情を確かめるようにしながら、説明を始めた。
「私が調査させた結果によれば、芹沢英輔氏は君の父親、つまり芹沢卓人氏に対して幼少の頃から徹底的に音楽教育を施していた。しかし、何らかの理由で卓人氏の左指には障害があったらしい。日常生活には支障のない程度だが、ヴァイオリンの弦を押さえることは困難だった。それでも英輔氏は諦めず、息子のために左利き用のヴァイオリンを作らせた」
 もちろん、初めて聞く話だ。

 ――左指に、障害? 左利き用の、ヴァイオリン?

 華音は身じろぎもせず、じっと赤城の話に耳を傾けていた。
 赤城は、さらに説明を続けた。
「ソリストとして名を馳せるならともかく、左利きとなるとオーケストラの中では一人だけポジショニングが逆になるし、はっきり言えば『使えない』んだよ。音楽をやらせるなら別にヴァイオリンにこだわることもなかったんじゃないか、と私のような素人は考えるわけだけど、英輔氏はその昔名ヴァイオリニストとして活躍されていた経歴をお持ちだから、自分の息子にどうしても、という気持ちは分からなくもない」
 赤城の説明は華音には難しかったが、何となく――分かった気がした。
 鷹山が言っていた『自分の音楽性を押しつけた』とは。
 特別に楽器をしつらえてまでヴァイオリンにこだわり続けた芹沢英輔が、左指が自由にならない自分の一人息子に与えた影響の大きさは、どれほどのものであったのか――想像に難くない。
「それでも何とか音大へと進学し、不安定だった彼を支えたのは当時サークルの後輩だった鞠子さん――鷹山君と君のお母さん、というわけなんだよ」
 その赤城の説明を聞き、華音は思わず声を出して笑ってしまった。
 目の前の少女の変貌振りに驚いたのか――赤城はわずかに眉をひそめ、数度目を瞬かせた。
「何か……可笑しかったかな?」
「だって、全然実感湧かないんだもん」

 ――鷹山君と、君の『お母さん』? そんな人、私はシラナイ。

「いったい何なの、兄妹って。お父さんとお母さんが同じです、なんて言われても、はい、そうですか――って言うしかない」
 赤城は不思議そうに首を傾げている。
 普通の環境で育った人間には、理解できなくて当然だ。華音はそう思い、赤城を前にして自虐的なため息をひとつ、ついた。


 ようやく、音楽練習室から二人の男が出てきた。鷹山と美濃部である。
 華音と赤城が話している間も、オーディションを終えた受験者が何名か帰っていくのを、華音は遮る観葉植物の合間から確認していた。
 赤城は片手を挙げ、鷹山に合図するようにその手を振ってみせた。
「すべて終わったのかな」
 鷹山は美濃部を引き連れて雑談スペースまでやってきた。そして、怜悧な眼差しを赤城に向け、露骨に嫌悪感をあらわにし、にこりともせずに言い切った。
「……終わりました。あなたがここでのん気に『僕の』アシスタントとくつろいでいる間にね」
 悪魔な音楽監督は、今度は華音のほうを睨みつけた。
 有無を言わせぬその勢いに、もちろん華音が太刀打ちできるはずもない。容赦のない無言の圧力に、華音はただ黙る他はなかった。
 別にやましいことをしていたわけではないのだが――しかし、鷹山の不機嫌の理由は、華音にも充分予想がつく。
「中座するなら初めから立ち会うなどと言わないで欲しいですね。興味本位でうろつかれるのは迷惑ですよ。忙しいのであれば、こんなところで時間つぶしていないでさっさと本業に戻ったらどうです?」
「それは失礼。しかし彼女に給料を支払うのは私だ。私の話し相手も仕事のうちだと思うがね」
「勘違いしないでいただきたいですね。芹沢さんの仕事は、音楽監督である僕のサポートをすることです。彼女はあなたの暇つぶしの道具ではありませんよ」
 鷹山が赤城に向けた言葉は、そのまま華音の心に重くのしかかる。

 ――『君には、僕の専属アシスタントになってもらう』

 専属。せんぞく。センゾク?
 それは、独占という名の鎖。束縛という名の契約。

 どうしてよいか分からず、ただ呆然と座り続けている華音に、鷹山は一喝した。
「芹沢さん、さっさと会場を後片付けして、そのあとは書斎にコーヒーを二つだ。やることは山ほどあるんだからな。さあ美濃部君、これから選考会議だ。僕の書斎まで一緒に来てくれ」
 鷹山は言いたいだけ言うと、そのままくるりと背を向け、螺旋階段を上っていく。
「あ、はい。それではオーナー、華音さん、お疲れ様でした」
 美濃部はきちんと二人に一礼して挨拶し、鷹山を追うようにして階段をかけ上がっていった。

 華音はどっと疲れを覚えていた。いつもながらの辛辣で悪魔な態度は、いつまで経っても慣れることはない。
 どうしたらここまで人格を使い分けられるのだろう――華音は不思議でしょうがない。
 傍らでは、赤城がこらえきれずに忍び笑いをしている。
「重度のシスターコンプレックスだな――実に愉快だ。私が芹沢君に近づくのが、彼は相当面白くないとみえる。こんな状態で兄妹であることを隠し通せていると思っているのか、まったく……これでは、楽団員たちにばれるのも時間の問題だ」
「それは――――困ります」

 自分の口から出た言葉に、華音自身が驚いていた。
 事実が周知のものとなれば、すべてが崩れ去ってしまうのではないか。
 それ以前に、自分がすでに事実を知ってしまっていることを、隠しきれる自信はない。

 それよりもなによりも。

 華音は、自分が鷹山に対して抱いている感情をあらわにされてしまうことに、今までに感じたことのないような恐怖心を覚えていた。